第34回全国統一研修会 九州大会
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開催報告
平成21年11月5日(木)~8日(日)
「明治維新の原動力であった九州・鹿児島で百年に一度の危機を飛躍にチェンジ!!」をテーマに、 目標を上回る集客で成功裡に開催!! 式典・会場風景

ミロク会計人会連合会の年間最大の行事「全国統一研修会」が11月5日(木)~8日(日)、実務に沿った基調講演と研修を中心に開催されました。開催場所が本土の最南に位置する鹿児島ということで、アクセスに不安がありましたが、1,267名という目標を上回る多数の参加を得て盛大に開催することができました。

今回の統一研修会の開催地・鹿児島県は太平洋と東シナ海に囲まれた南北約600キロメートルにわたる広大な県土を有し、全国第10位の総面積(約9188平方キロメートル)を誇っています。気候区は温帯から亜熱帯に至っており、平均気温が高く温暖です。また、世界自然遺産に登録されている屋久島や奄美群島をはじめとする多くの離島が、本県総面積の約27%を占めています。そして、そういった環境は個性豊かな祭礼行事や民俗芸能、伝統工芸などの伝統文化、黒豚、黒牛、黒酢、黒糖、焼酎といった豊富な食材などを育んできました。

一方、鹿児島といえば江戸時代の栄華でも知られています。当時の鹿児島市は禄高77万8000石の天下第2の雄藩でした。薩摩、大隅(鹿児島県)、日向(宮崎県南部)の3国を治めた島津氏の城下町として、着実に繁栄してきました。琉球を中継地とした貿易などを活発に行い、大陸文化やヨーロッパ文化の門戸ともなっていました。16世紀の中頃、フランシスコ・ザビエルが上陸し、わが国に最初にキリスト教を伝えたことなどからも、当時の栄華をうかがい知ることができます。

その勢いは近代になってからも続きました。第28代島津斉彬公のもと、薩摩はわが国における近代工業化の発祥の地となり、近代日本の黎明期、明治維新においては元勲・西郷隆盛や大久保利通など、幾多の人物を輩出しました。そして明治4年には鹿児島市が廃藩置県とともに県庁所在地となり、明治22年4月に市制が施行されました。

その後、鹿児島市は第二次世界大戦の戦火で市街地の約9割を焼失してしまいました。しかし、戦後は観光・商工業の発展とともに市域を拡大し、昭和55年7月には人口50万人を突破。さらに、平成元年には市制施行100周年を迎え、南九州の中核都市として発展をつづけています。

さて、今回の統一研修会では、11月5日に「式典」「基調講演会」「第1分科会」「第2分科会」「第3分科会」「懇親パーティ」、翌6日に「祁答院ゴルフ倶楽部」での「懇親ゴルフ大会」、6日から仙厳園、知覧特攻平和会館や屋久島を巡る2泊3日の「記念旅行」と「日帰りコース(仙巌園、知覧コース)」を催行いたしました。

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