The Essay Series from Accountants
88年の思い出
[1] 現在の北区と過去の北区
昭和38年(1963年)、職場の移動で東京都北区に転勤した。同僚たちは、東京に北区はあるのか、王子とあるが八王子の間違いではないのかと散々冷やかされて上京した。それから62年経過した東京都北区も、今では赤羽を中心に繁華街の発展と生活のしやすさがあって知名度も上昇した。
特に東京駅や新宿・渋谷には電車で20分ほどの近さもあって比較的若い年代の住民が多くなっている。交通の便ではJRの駅が10駅あり、都内では一番の多さとなっている。
最近の話では1万円札の顔となった渋沢栄一が暮らした本邸の跡地が、江戸時代から桜の名所となっている王子飛鳥山公園にあって、今でも当時のままの姿で残っていると聞く。
[2] ミロク情報サービスとの付き合い
昭和55年(1980年)、ミロク情報サービスが「ミロクエース・モデル100」を販売したことをきっかけに付き合いが始まった。昭和45年(1970年)頃、「コンピユウタ※1」という言葉が使われるようになり、たまたま8ミリカメラを製造していた顧問先の会社が3500万円を投入して導入した。すぐ見学に行ったが6㎡ぐらいの部屋に大きな機械が据え付けられ印字ではコボル(COBOL)※2が動いていた。現在では20万円くらいのパソコンの容量でありコンピユウタの進歩の速さを感じる。
ミロク会計人会連合会の役員には平成10年(1998年)ごろ福岡の税理士会で役職に就かれていた永松 繁雄先生が連合会の会長に就任した時、私も総務委員長となり会計人会の立て直しを目的として会則をはじめとする規則の見直しに着手した。現在まで何度か修正をしてきたが基礎は当時のまま残っていると思う。
※1 1960年代末から1970年代に日本でパーソナルコンピュータが普及した
※2 1959年に開発された事務処理用プログラミング言語のこと。事務・会計処理において金額計算や大量のデータを高速でバッチ処理する能力に優れている
[3] 88歳での退任
令和7年(2025年)3月、米寿のお祝いを協同組合で行ってもらったが、4月には路上で倒れ救急車で運ばれて1カ月の入院をすることになった。その後は体調が日ごとに悪くなり、植田 卓ミロク会計人会連合会会長に6月で委員長を退任すると申し出て、役員会の承諾をとり、退任する運びとなった。
88歳まで税理士会の役員や関係企業の役員ができたことに感謝している。
東京都北区にある国指定重要文化財〝晩香廬(ばんこうろ)〟

