The Essay Series from Accountants
夫婦の愛の〝あんばい〟
調停委員を務めて5年近く。様々な夫婦の物語に出会ってきたが、その中でも忘れられない言葉がある。「愛され過ぎて離婚したい」―。調停室でそう訴える女性の言葉を聞いたとき、私は耳を疑った。愛され過ぎて? 一瞬、羨ましいような気すらした。なにせ我が家の夫ときたら放任主義で、私の行動にはまるで無関心。持てる愛情の大半は愛犬に注がれているのだから。
けれど、その女性の言う「愛」は、一方的な束縛だった。帰宅すると必ず抱きつかれ、離してくれない。夜もその調子で、ついには不眠症になってしまったという。愛情のつもりでも、度が過ぎれば相手の自由を奪ってしまう。なるほど、「重すぎる愛」というのも確かにあるのだ。そんな話を聞いていると、愛犬ばかり可愛がる夫の姿も、悪くない距離感に思えてくる。
「重すぎる愛」といえば、忘れられない事件がある。ある夫は、離婚調停のさなかにも関わらず、妻に愛の詩を送り続けていた。「愛の詩」などと聞けばロマンチックに思えるかもしれないが、相手は離婚を望んでいる真っ只中である。妻は「こういうのはちょっと…」と呆れていた。小学生でも知っている「相手の嫌がることはしない」という単純なルールが、愛という感情の前では見えなくなってしまうらしい。
調停の場で夫婦のやりとりを見ていると、「人のふり見て我がふり直せ」とばかりに、自分の結婚生活を省みたくなる。特に調停期日の夜などは、妙に殊勝になり、普段はあまり言わない「ありがとう」を夫に連発してしまう。そのうち、「わかった、わかった、もういい!」とあきれ顔で逃げられてしまうのだが。
夫婦の愛は、重すぎても窮屈だし、少なすぎても味気ない。そのちょうどいい〝あんばい〟を探すことこそ、たぶん一生の課題なのだろう。
犬ポロン
金沢家庭裁判所

