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会計人のリレーエッセイ

2021年10月号

旅に出る前に

田中 伸廣

四国会

徳島県鳴門市田中 伸廣

マカオの「聖パウロ天主堂跡」です。1582~1602年に
イエズス会士によって建築された天主堂は当時アジア最大
のカトリック教会であり、イエズス会の東アジアの拠点。
1835年火事によって焼失しました。

 緊急事態宣言下のゴールデンウイーク中に、潜伏キリシタンを訪ねる旅に出る前に、大学時代に課題図書として読まされた遠藤周作の『沈黙』を、再度読んでおこうと思った。

 50年を経て読み返してみると、好奇心の置き所が変わったのか、その関連図書を読み重ねた。学生時代とまるで違った感覚で16~17世紀の日本のキリスト教弾圧の歴史を俯瞰することができた。

 ポルトガル、スペインとの交易には「イエズス会」がセットであったが、信長は、キリスト教を数ある宗派の一つ程度に認識しており、武器弾薬、唐木綿等々の交易に魅力を感じていた。日本からの輸出品は主に銀。奴隷としての日本人男女、戦国武士の傭兵等も含まれていた。

 キリスト教対応への転換点の一つは、1596年、土佐の浦戸に漂着した「サンフェリーペ号事件」。その舵手に、スペインがペルーやメキシコをどうやって手に入れたか聞くと「まず修道士たちが入り、宗教を説き、そして軍隊が彼らに続いて入り、それらの王国を服従させた」と証言した。スペインが日本も同様に植民地化する構想があったことは明らかである。

 キリシタン大名とイエズス会の伝道活動の過程において、九州では神社仏閣が焼き討ちされ、仏僧をはじめ多くの犠牲者を出している。

 さらに「天草島原の乱」に至っては、キリスト教への弾圧が一層激しくなり、信者たちは、「踏み絵」を踏まず殉教の道を選ぶか、「転ぶ」か、それとも潜伏の道を選ぶのか。250年に及ぶ潜伏信仰に思いをはせる。 1年間で「潜伏キリシタン」関連の本を10冊以上読んだが、これから読みたい関連図書がまだ手元に積み上がっている。

 新型コロナが落ち着けば、四国の東端から愛車を駆って、趣味のカメラを抱えて、天草、島原、長崎、平戸、五島をめぐる旅に出ることを楽しみにしている。

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