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不屈の経営者に聞く

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堀 一久 氏株式会社新江ノ島水族館 代表取締役社長

リニューアルを機に展示内容を刷新し 組織改革や行動指針の明確化を通じて 「新」江ノ島水族館に

さまざまな逆境を跳ねのけてきた経営者にスポットを当てる本コーナー。 第3回目はバブル崩壊や東日本大震災、コロナ禍を乗り越え、相模湾とそこに生息する 海洋生物の魅力を発信し続ける新江ノ島水族館の堀 一久社長に、お話を伺いました。

Profile

1966年東京都生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、1989年に住友信託銀行(現・三井住友信託銀行)に入行。2002年(株)江ノ島水族館に専務取締役として入社。2004年(株)江ノ島マリンコーポレーション(旧・(株)江ノ島水族館)代表取締役社長に就任。2014年(株)新江ノ島水族館代表取締役社長に就任後、現在に至る。

新江ノ島水族館の前身である旧・江ノ島水族館が開業したのは1954年のことだそうですね。

堀 一久・新江ノ島水族館代表取締役社長(以下、敬称略) 映画会社の日活で社長を務めていた祖父、堀 久作がドライブ中に相模湾と江の島、富士山が織り成す絶景に感動し、創設したのが始まりです。当初は父が経営を担う予定でしたが急逝したため、母が長年にわたって社長を務めていました。

ピーク時の来場者数はどれくらいいたのでしょうか。

 日本における近代的水族館の第1号だったこともあり、高度経済成長期の来場者数は年間200万人に達していました。

堀社長が入社した時はどのような状況でしたか。

 私は信託銀行で13年間勤務した後に、専務として2002年に入社しましたが、当時は施設の老朽化などの影響で、来場者数が年間20万人くらいにまで落ち込んでいました。母は懸命に施設の維持に努めていましたし、その姿には常々、感銘を受けていました。ただ、銀行員としてさまざまな企業と接し、その財務状況などを分析しながらアドバイスをしてきた立場からすると、経営的にも財務的にも改善点があったのは間違いありません。

2004年には新江ノ島水族館としてリニューアルを果たしました。

今年リニューアルから20周年を迎えた
新江ノ島水族館、通称「えのすい」

 それから遡ること20年ほど前、「湘南なぎさプラン」という湘南海岸の海岸整備計画の一環として、神奈川県と藤沢市は当館を第三セクターとしてリニューアルする計画を進めていました。そのような時期にバブル経済が崩壊、全国的に第三セクターのリゾート施設などが破綻していく中、当館のリニューアルも見直されることになったのです。しかし、母は粘り強く交渉を続け、ついにPFI※1でのリニューアルが実現したのです。

※1 PFI(プライベート・ファイナンス・イニシアティブ)……公共施設などの建設、維持管理、運営に民間の資金とノウハウを活用するイギリス発祥のスキーム

えのすいの目玉、相模湾大水槽。
波を発生させたり、岩などを多数設置し、相模湾の
リアルな岩礁や沖の様子を再現している

ソフト面の改革も進めたのでしょうか。

 旧館時代はトップダウン型の組織運営が機能していましたが、リニューアル後はPFIを採用した以上、自治体や大手企業と共にコンソーシアムを組成し、事業計画に基づいた経営をしなければならず、組織力を向上させる必要がありました。そこで、例えば旧館時代は営業会議を行っていませんでしたが、私が入社してからは組織力を重視し、営業会議を実施して現場やコンソーシアムとの連携を強化し、戦略的に営業に取り組むようにしていきました。また、企画やPRなどの業務を推進する部署も立ち上げ、若くてやる気のある人材を積極的に採用し、サービス業としてのホスピタリティの向上にも努めました。

展示にはどんな変化を加えましたか。

クラゲの展示と研究も見どころの一つ。
クラゲファンタジーホールでは多様かつ珍しい
クラゲを存分に観賞できる

 「海と海洋生物の素晴らしさを伝える」という水族館事業の本質は一切変えていませんが、相模湾の魅力をこれまで以上に打ち出すことにしました。相模湾は日本全体の魚種の約4割(1900種)が生息する海洋生物の宝庫です。当館の相模湾ゾーンでは、そんな世界に誇る相模湾の生き物や環境をさまざまな切り口や手法でお伝えしています。中でもその魅力をダイナミックに観賞できるのが相模湾大水槽です。この水槽では相模湾に生息する100種の海洋生物を飼育しているのですが、いずれもそれぞれが関わり合いながら独自の暮らしを送っています。特に注目してほしいのが群れを成して泳ぐ約8000匹のマイワシです。大型の魚が近づくと散開し、しばらくすると再び群れを成す。この動きは波や岩など自然界に近い環境が再現されているからこそ見られるものであり、他ではなかなかお目にかかれないと思います。

反響はいかがでしたか。

 リニューアル初年度にして年間180万人もの皆様にお越しいただき、その後も数年は順調に推移していきました。ところが、東日本大震災で状況が一変しました。沿岸に立地していたことから数年間は来場者数が激減し、学校遠足にいたってはゼロになってしまったのです。学校遠足は年間約10万人の来場者数を占めていただけにかなりの痛手でした。また、東京電力福島第一原子力発電所事故に伴う電力の供給不足、計画停電にも頭を悩ませました。水族館の営業に電力は不可欠ですが、自家発電設備を稼働するにも燃料が足りない状況に陥ってしまったのです。その時に支えてくれたのは地域の皆さんでした。地元の藤沢商工会議所の協力の下、ガソリンスタンドが重油を融通してくださり、何とか営業を続けることができたのです。

かなり危機的な状況だったのですね。

 こうした危機を経て、あらためて組織としてのDNAを紡いでいく必要があると考え、2012年にはクレド※2を策定しました。「つながる命の価値を最大限に伝えていく」「日本一居心地のよい水族館」「心からのおもてなし」など、当社の理念と信条、行動指針を端的にまとめ、役員や社員はもちろん、アルバイトの皆さんにも持ち歩いてもらっています。そうすることで、何か困難に直面したときや部下を指導するときの指針にしてもらえるのではないかと考えたのです。おかげで、当館ならではのDNAが少しずつ育まれてきているように感じています。

※2 クレド(Credo)……従業員が心がける信条や行動指針のこと。理念とは異なり、従業員に向けて企業の方向性などを発信するために設けられる

コロナ禍はどうでしたか。

 3カ月の臨時休館を余儀なくされましたが、それ以外の期間は入場制限をし、換気を万全にしたこともあり、一定数の来場者数を維持することができました。慌てずに対応できたのは、これまでに何度も苦境を乗り越えてきたからかもしれません。

今後の目標をお聞かせください。

 現在、当館の来場者数は年間160万人くらいで推移しており、多くの方々が江の島とあわせて立ち寄ってくれています。そんな江の島のある藤沢市の年間観光客数は1700万人くらいで、お隣の鎌倉市と箱根町には年間2000万人を超える観光客が訪れています。藤沢市には江の島以外にもさまざまな魅力があり、鎌倉や箱根に負けないポテンシャルがあるので、当館の魅力に磨きをかける一方で、市や他の事業者と連携しながら藤沢全体の魅力の底上げにも努め、結果的に水族館の来場者数も増えるという好循環を生み出していければと思います。

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