
森光 孝雅 氏株式会社八天堂 代表取締役
経営危機を乗り越えて
「くりーむパン」を軸に
持続可能な経営を目指す
さまざまな逆境をはねのけてきた経営者にスポットを当てる本コーナー。 第5回目は経営危機を乗り越え、広島県三原市内はもちろん、 全国へも名を広げる(株)八天堂の代表取締役 森光 孝雅氏にお話を伺いました。
Profile
[もりみつ・たかまさ]1964年広島県三原市生まれ。21歳よりパン職人として神戸市の名店で修業。91年に家業に戻り「たかちゃんのぱん屋」を開業。無理な店舗拡大で経営危機に直面したが、卸売業に転換しV字回復。一品集中で手土産にもなるスイーツパン「冷やして食べる くりーむパン」を開発することで国内外の販路拡大に成功。著書に『人生、今日が始まり「良い品、良い人、良い会社つくり」への挑戦』(PHP研究所)、などがある。
御社の前身は1933年創業の和菓子店「森光八天堂」(広島県三原市)だそうですね。
森光 孝雅・八天堂代表取締役(以下、敬称略) 祖父が創業した和菓子店で、戦後の甘いものが貴重な時代に地域の皆様にご愛顧いただきました。父の代では時代の変化とともに洋菓子を取り入れて和洋菓子店になりました。しかし、周囲に競合が増え始め、また私は修業時代にパンをやっていきたいという想いが芽生え、1991年に焼きたてパンの店を開業したのです。当時は地域に焼きたてパンの店が少なく、大手のコンビニも進出していなかったこともあり、10年間で13店舗まで拡大することができました。ただ、当時の私には経営のノウハウがなく、13店舗を構えた頃には競合が増え、売り上げが減少。もちろん、新商品の開発に取り組み、社内会議や社員のモチベーションアップを図るなどして活路を見出そうとしましたが、無理な規模拡大で傷んだ組織を変えることはできませんでした。その間、メインバンクの担当者はもちろん、先輩経営者でもある父からは何度も指摘を受けましたが、私は心のどこかで地道に1店舗だけを経営し続けてきた父を見下し、頑として聞く耳を持てなかったのです。
危機的状況に置かれていると自覚できぬまま、窮余の一策とばかりに大型店舗への投資も行いました。そのプロジェクトは途中で頓挫し、ついに信頼していた社員も私のもとを去ってしまいました。それでも危機感を持てていなかった私は、当時のメインバンクの担当行員に連れられ、「さあどうする」と言わんばかりの剣幕で、民事再生の手続き書類とその説明を受け、ここでようやく自分の置かれている現状を理解しました。いよいよ行き詰まったのだと。
その後、どのような転機があったのでしょうか。
森光 栃木県宇都宮市でパン屋を営んでいた弟が私の境遇を知り、2000万円を用立てると言ってくれたのです。これほどの大金は弟の全財産だと、申し訳ない気持ちと自分自身が情けない気持ちでいっぱいでした。そして、この時に私の意識が大きく変わりました。この弟を育ててくれた親にもしっかりと向き合おうと思い、まずは謝ることにしたのです。すると、私よりも先に父が涙を流しながら私を追い込んでしまったと話し、私も思わず大泣きしてしまいました。
この出来事を機に、私はこれまでの自身の行動と習慣を改めることを決意し、まずは社員と取引先に現状を伝え、謝罪して回りました。また、これを機に担当税理士との関わり方が大きく変わったのを覚えています。そして「会社に残ってくれたこの人たちのために頑張ろう」という気持ちが湧き上がり、「八天堂は社員のために お品はお客様のために 利益は未来のために」という信条と、「良い品 良い人 良い会社つくり」という経営理念が定まっていきました。
そんな最中、「近くでこだわりが詰まったおいしいパンを取り扱っている店がない」といった声が寄せられたのです。すぐさまその地域のスーパーに飛び込み営業をかけてみたところ、とんとん拍子で取引が決まり、それからは事業形態をパンの製造販売から製造卸にシフトし、広島県内の量販店に販路を拡大。3年間でV字回復を果たすことができました。
まさに起死回生ですね。
森光 ただ、またいずれ、競合が現れたら事態が一変するのではないかという危機感が常にありました。後に恐れていた事態は表出し、競合他社の間で同様のビジネスモデルが流行り、価格競争へ発展。時とともに取引先の量販店の売場から自社商品がじりじりと減らされ、心をすり減らしました。その上、当時はニーズに応え、100種類以上の商品を卸していたため、現場にも多大な負荷がかかっていました。そこで、私は過去の失敗を振り返って「広島県という限られたパイの奪い合いでは事業の成長に限界がある」「競合他社がすぐまねできるビジネスモデルではすぐに競争が激化する」と考え、この状況から抜け出せる一手を模索しました。そんな時、同じ三原市で和菓子店を営む若社長が東京進出を果たし、特徴ある「一品」の商品をヒットさせているという話を耳にし、「一品専門」に可能性を感じ、卸売業からの方向転換を決めました。まだその「一品」となる商品はできていない段階での決断でしたので、家族や取引先などからは猛烈な反対を受けました。
こうした反対を受けながらも2008年、試行錯誤の末にたどり着いたのが、「クリームパン×口どけ」というコンセプトの「くりーむパン」です。駅ナカ店舗を中心に展開したところ、多くの人たちに受け入れていただき、今では国内20軒超、海外10軒超を構えるまでになった他、スーパーやコンビニに卸したり、さまざまな企業やブランドとコラボ商品を作ったりしています。東京で最初にヒットした際は担当税理士も喜んでくれて、取引先からも再度商談のお声がけをいただいたことは今でも覚えています。
現在はどのようなことに注力していますか。
試行錯誤の末にたどり着いた「クリームパン×口どけ」を
コンセプトとした八天堂の「くりーむパン」
森光 「くりーむパン」を始めた当初は「手作り、手包み、手渡し」を重視し、多い時には工場で6万個もの「くりーむパン」を手作りしていました。ところが、昨今の人手不足や人件費の高騰などを考慮すると、このビジネスモデルを長期的に維持するのは困難です。コロナ禍に製造工程も一部機械化しましたが、今後は販路の拡大とともに「冷やして食べる」という魅力を深掘りしたり、一部の店舗で焼きたてを提供したりすることで付加価値を高めるとともに、製造工程の自動化を推進していきたいと考えています。
そして今後の方針ですが、一つは社員の定着率向上策です。弊社では既に新卒採用を始めた16年前から一貫して、毎日の朝礼や食事の席で全社員に信条や経営理念を伝え続けてきました。おかげで、今では私と同じような気持ちで仕事に向き合ってくれる社員がたくさんおり、昨今の若手は自分たちの世代よりも誰かの役に立ちたいという〝利他の精神〟が豊かな方が多いと感じています。これらは経営理念に通ずるもので、今後も経営を持続させていくためにも我々がより他人から見て魅力ある会社であり続けることが重要です。
もう一つがソーシャルビジネスです。これは先ほどの経営理念に通ずるもので、農業と福祉を掛け合わせた農福連携に2次産業や3次産業を組み合わせた「商工農福連携」を推進するというものです。2022年には「八天堂ファーム」を社内ベンチャーで立ち上げ、社会福祉法人や行政とも連携した取り組みを推進しています。今後もパン作りから始まる社会貢献活動に取り組みながら持続可能な経営を続けて参ります。

