佐藤 修哉 氏株 式 会 社 佐 藤 製 作 所 常 務 取 締 役
若手社員の積極採用と 人事労務改革で 町工場の未来を切り拓く !!
さまざまな逆境をはねのけてきた経営者にスポットを当てる本コーナー。 第4回目は10年連続赤字という危機に直面して人事労務改革を推進、銀ロウ付けという ニッチ分野で業績を伸ばしている(株)佐藤製作所の佐藤 修哉常務取締役に、お話を伺いました。
Profile
[さとう・しゅうや]1986年生まれ。慶應義塾大学理工学部電子工学部を卒業後、大学院に進学。大学院を修了した後、IT企業を経て、2014年に祖父が創業した(株)佐藤製作所に入社。 人事改革や若手社員とのコミュニケーションの活性化、2人の息子の世話に励んでいる。
前職のIT企業を退職し、3代目として(株)佐藤製作所に入社した当時は10年連続赤字という危機的な状況だったそうですね。
佐藤 修哉・佐藤製作所常務取締役(以下、敬称略) 2014年に入社したのですが、当時は工場の整理整頓も十分になされておらず、社内の人間関係もぎくしゃくしていました。業務面では製造業の基本とされる「不良品を出さない」「納期を守る」といった当たり前のことができておらず、財務面では売値も原価割れとなっている製品が散見され、赤字に影響。町工場で働くのが初めてだったので、最初は「こんなものかな」と思っていましたが、他社と比較するようになって、業務面、財務面、労働環境面ともに厳しいと気づき、危機感を募らせていきました。
その後は経営環境の改善に向けて売値の再交渉、原価、製造、人事、労務などの管理を徹底し、会社が抱える問題点にメスを入れていきました。自社独自の銀ロウ付け技術を武器に新規顧客の開拓にも注力し、入社数年で赤字解消の目途が立ってきました。
特に人事労務改革に力を入れられたそうですね。
佐藤 とにかく社内のネガティブな雰囲気を変えなければならないと考えていました。当時は納期遅れなどの問題が生じても、いら立ちながら「自分は関係ない」という態度を取る社員が一定数いて、罵詈雑言はそこら中に飛び交い、社員同士の仲はとても悪かったです。「この雰囲気を変えなければ会社も自分も潰れてしまう」という一心でしたが、サラリーマンをしていた頃を振り返ると、自分も似たような態度で仕事をしていた己の過去を見つめ直しました。あの頃のことを思うと、社員たちの気持ちも何となく理解できていたと思います。「立場が人を変える」とはよく言ったもので、経営者視点になったことで責任の重みを自覚し、当事者意識が芽生えていきました。
その後、どのようにして社内の雰囲気を変えていったのですか。
佐藤 まずは会社の若返りが必要だと考え、若手社員の積極的な採用に取り組みました。当初はハローワークなどで条件に合う若くてスキルがある人材がいればすぐ採用したのですが、いずれも早い段階でギャップが生じ、すぐに辞めてしまったのです。
そこで方針を変え、スキルにこだわらず、人間性を重視した面接・採用に切り替えることにしました。選考基準は「中長期で働ける」「すぐに辞めない」「明るく会話ができる」こと。社内からは「即戦力がほしい」といった声が多かったのですが、すぐに辞められては本末転倒だし、佐藤製作所の仕事を一から学んでもらった方が中長期的に良いと考えたのです。当時は職員の年齢が50~60代中心と高齢でしたから、若返りを果たさなければ、赤字を解消できても会社を存続することは難しいとも考えていました。
労働環境の改善もポイントだったのではないでしょうか。
佐藤 ものづくりの現場は受注に応じて忙しさが変動するのですが、当社では土日祝完全休業と1日8時間労働(残業なし)を徹底することにしました。これは新卒社員や女性社員の受け入れ態勢を整える狙いがあり、後に産休育休制度や生理休暇も新設しています。当時は経営陣・役員からの反発がすさまじかったですが、仕事量が少なくても納期に間に合わないことがしばしばあったので、実際のところ、生産性を上げて集中して業務に取り組んでもらえれば絶対に実現できるとみていました。まずは納期を守ってもらう。こうして生産管理体制を整えてみたところ、生産性が格段に高まり、社員のワーク・ライフ・バランスの向上にもつながりました。
こうした取り組みの結果、現在は17人の社員の約半分が20〜30代の若手社員となっています。特に女性社員が増えたことで社内の雰囲気がポジティブになり、コミュニケーションも活発に行われるようになりました。
インターンシップ制度の導入も追い風になったと伺いました。
佐藤 若手社員を増やして社内の雰囲気を変えたいと思っていた矢先、展示会で高専の先生方とお会いしたことがきっかけになり、インターンシップを試験的に導入しました。ちなみに当社の技術職の若手リーダーは初回のインターン生です。今では1週間のインターンシップを実施しており、今年は応募者が増えて3週にわたって実施しました。例年、インターンシップを機に何人かが入社してくれています。
そうした人事労務面の取り組みと同時に、銀ロウ付けという自社の強みを前面に押し出していったのですね。
佐藤 他社との差別化を意識し、「何でも対応できる」「技術力が高い」をウリにするのを止め、当社の強みであるアナログ作業が主流の銀ロウ付け(銀ロウを用いたロウ付け)の提案に注力しました。この技術の特徴は重装備なしで手軽な上、銅や真鍮を接合でき、気密性が高く、母材を溶かさない、異種金属材を接合できることなどで、主に電気製品のパーツづくりに使用されています。近年はさらにニッチな技術になりつつあり、多品種少量のニーズが依然としてあることなどを考慮し、町工場ならではの柔軟性を活かせば商機を見出せると考えたのです。もちろん、その他の金属加工にも幅広く対応しているのですが、銀ロウ付けを前面に打ち出すようになってからは、これまで以上に幅広い地域から依頼が舞い込んでくるようになりました。
とはいえ、若手社員が多い中で銀ロウ付けなどの技術を維持・向上していくのは大変だったのではないですか。
佐藤 私もそのあたりを危惧していたのですが、若手社員が増えたことで熟練工たちのモチベーションが上がり、技術承継は順調に進んでいきました。社員一人ひとりに責任感ややりがいを持ってもらうため、分業制から一貫担当制に切り替えたのも大きかったかもしれません。若手社員は全員、意欲的で成長も早いし、ベテランたちも教えることを楽しんでくれています。
地域とのつながりも大切にしているそうですね。
佐藤 以前は地域との接点がほとんどありませんでしたが、昔の町の板金屋さんのように個人の方のちょっとした金属加工をお手伝いしてみたところ、「金属パイプを切りたい」「金属板に穴を開けたい」といった相談が寄せられ、知名度も自然と高まってきました。最近はホームページやSNSを通じて、全国から相談が舞い込んでいます。その他、「地域に開かれた町工場」というイメージを打ち出すために、銀ロウ付け体験教室や金属加工体験教室なども開催しており、こちらも好評を博しています。これからも若手社員の力を最大限に引き出しながら、日本のものづくりを追求していきたいと思います。