「至誠一貫 正々堂々」を胸に
「よろず相談」に全力で応える
兵庫県朝来(あさご)市で3代にわたって地元企業を支えてきた能見(のうみ)税理士事務所。 常に顧問先と地域の発展を願い、行動し続ける所長の能見 洋八郎先生に、 事務所の歩みや昨今の取り組みについて伺いました。

顧問先を伴走支援し、地域活性化も視野に
入れる能見 洋八郎先生
人口減に悩む旧城下町に活路を見出せるか
能見先生は3代目とのことですが、もともとは事務所を継ぐつもりはなく、静岡県清水市の大手鉄鋼メーカーの造船所で働いていたそうですね。
能見 洋八郎所長(以下、敬称略) 当事務所は第二次世界大戦後に父が立ち上げたのが始まりなのですが、私も兄も事務所を継ぐつもりがなく、父が亡くなった後は縁のあった先生に2代目になってもらい、事務所の経営をお願いしていました。ところが、そんな状態が10年くらい続いた頃、その先生が病気がちであまり事務所に顔を出されないことを税務署に指摘され、急遽、私が後継ぎ候補に。入社3年目という状況でしたが、思い切って退職し、税理士試験の勉強に打ち込むことにしました。
信じられないスピードで合格したと伺っています。
能見 大学の専攻は法学部だったので、簿記も会計もほとんど知識がない状態からのスタートでした。そこで、まずは1979年4月末に退職してから8月に名古屋大原学園静岡校の税理士科に入学するまでの間に簿記の基礎知識を徹底的に頭に叩き込みました。そして、入学後は同学園の創始者で当時理事長の杉山 孝男先生に師事し、勉強に没頭。杉山先生は人格的にも素晴らしい方で、とにかく先生の言う通り、必死になって勉強に打ち込んだところ、翌年の8月の税理士試験で5科目一括合格を果たすことができました。
朝来市に戻った直後の事務所の様子はいかがでしたか。
能見 父がいた頃から在籍していた職員たちがしっかりと仕事を回してくれていたので、顧問先もほとんど変わらずに残っていましたし、業務的にも十分なレベルに達していました。私は皆が作ってくれた良い環境の中に入れてもらったような感じでしたね。
顧問先および朝来市内の状況はいかがでしたか。
能見 小さな町ですから、やはり中小零細の事業者が中心で、業種的には公共工事を手掛ける土木建設業が多かったように思います。あとは家具工場やバネ関係の町工場、縫製の下請けを担う事業者も多数ありました。そもそも、当事務所がある旧和田山町(現・朝来市)は、「天空の城」「日本のマチュピチュ」と称される竹田城跡があることで知られています。町そのものも古くから竹田城の城下町として栄えてきた歴史を持っていると同時に、城主の赤松広秀が漆器の生産を奨励したこともあり、近代になってからはその技術力をベースに家具作りなどの産業が育っていったのです。その後、1975年以降は工業団地が造成され、大きな工場も次々と操業し始めました。しかし、地域の人口減とともに家具作りなどの地場産業はほとんどなくなり、現在は工業団地に入居している企業を除くと、土木建設業や一定の規模の小売業やサービス業などが残っている程度です。
また、当時は日本海側で大阪や神戸といった一大消費地が控えていることから、鮮魚加工を手掛ける事業者も多かったのですが、食生活の変化やまた気候変動に伴う水産資源の減少とともにそれらの業種も大分少なくなってしまいました。
そういった状況にあって、どのような顧問先が奮闘していますか。
能見 従来の小売店が軒並み廃業する中で、50代の男性が個性的な青果店を営んでいる他、無農薬やオーガニックを強みにした農家、品質を重んじながら規模を着実に拡大している養鶏家などがいます。引き続き朝来ならではの自然環境を活かしたビジネスを展開してほしいですね。
地方の中小零細企業に求められる「よろず相談」

2階建てで広々としたオフィスです
現在の事務所はいつ頃建てたのですか。
能見 前の事務所が手狭になってきた際、ちょうどJR和田山駅裏の土地が売りに出されることを知り、すかさず購入して1989年頃に事務所を建設しました。その後、区画整理を機に97年に建て替えを行い、現在に至っています。
現在はどのような顧問先が多いのでしょうか。
能見 工業団地ができてからはそれなりの規模の会社の案件を引き受けることも増えましたが、今も大半の顧問先が従来からの地元で頑張る小規模な中小企業です。
顧問先を支援する上でモットーにしていることを教えてください。
能見 「至誠一貫 正々堂々」という言葉を大切にし続けています。父の代から実践されてきたことなのですが、私の代になって、あらためてこの言葉を掲げ、職員と共有するようになりました。
その思いは業務にどのように反映されていますか。
能見 いつ何時も顧問先にしっかりと向き合い、その成長を全力で支えるようにしています。そのため、基本的なことでも相手が困っていれば手取り足取り支援するのはもちろん、会社のことだけでなく、家族のこと、個人のことに関しても「よろず相談」に応じるようにしています。
もちろん、そのためには顧問先の状況を細かく把握しておく必要があるので、私は今も全ての顧問先の元帳に目を通していますし、顧問先から要望があれば、直接、相談に応じるようにしています。ありがたいことに、若い職員たちもこの姿勢を大切にしてくれていますし、多くの顧問先がそのことを評価してくれているようです。
最近はどのような相談が多いですか。
能見 やはり相続税に関する相談が多いですね。特に2015年に相続税の基礎控除が引き下げられてからは、当事者意識を持つ方が増えたように思います。相続税はどういった評価の考え方をするかで納税額が大きく変わってくる分野ですし、家族の関係性も含め、プライベートな事情も重要になってきます。それゆえに常に新しい考え方や事例を頭に入れながら、顧問先に寄り添った対応をするように心がけています。
地域で一丸となって朝来市の地方創生を推進
毎年、事務所主催のゴルフコンペを実施しているそうですね。
能見 「能見会計事務所ゴルフコンペ」と銘打ち、30数年前から気軽に親睦を深められる場として、顧問先や職員はもちろん、地元の政治家や金融機関など総勢70~80名の皆さんに参加してもらっています。まさに継続は力なりで、このコンペをきっかけにさまざまなコラボが実現していますし、地元では「能見会計といえばゴルフコンペ」と言われるくらい知られるようになりました。
MJSの社員をお招きいただくゴルフコンペもあるそうですね。
能見 30数年前、MJSの皆さんのゴルフの腕前がいま一つだったこともあり、お節介のつもりで始めたコンペが今なお「へぼコンペ」の愛称で続いています。顧問先の上手な方たちに指南役になってもらい、毎年、総勢30~40名くらいの規模で実施しています。このコンペでも素晴らしい縁を紡ぐことができているので、こちらもそのまま継続していきたいですね。
今後の目標についてお聞かせください。
能見 「顧問先の成長なくして、事務所の成長はない」という考えの下、顧問先の成長、ひいては地域の成長に貢献していかなければならないと考えています。朝来市は今も人口減に悩まされており、もはや地方交付税だけで何とかなるような状況ではありません。このままでは地域そのものが消失してしまうという危機感を持って、皆が一丸となって地方創生に臨まなければなりません。お隣の養父市では国家戦略特区の認定を受け、農業生産法人の要件緩和をはじめ、さまざまな農業振興策を実施し、成果を挙げています。当地にも竹田城跡や生野銀山、そして岩津ねぎなどの素晴らしい地域資源があるので、知恵を絞って、これらを最大限に活用していきたいですね。
本日はありがとうございました。ますますのご発展をお祈りいたします。
History & Story税理士までのあゆみ
「子どもの頃から会計事務所を継ぐつもりはありませんでした」と話す能見先生ですが、父上が1969年に逝去されたことで、運命の歯車が少しずつ動き始めます。「私は当時、高校生だったので事務所を継ぐことができませんでした。そこで、母は以前から縁のあった先生に相談し、上郡町の先生に2代目として顧問先の面倒を見てもらうことにしたのです。当時は『これでもう自分が事務所を継ぐことはない』と思っていました」と先生は振り返ります。 以来、母上と職員の皆さんが現場対応に取り組み、2代目の先生が業務をチェックするという体制を10年ほど続けていたそうですが、ある時、先生が病気がちなこともあって税務署から「先生があまり来ていないのではないか」と指摘されて状況が一変。「母から『何が何でも税理士資格を取得して、早く後を継いでほしい』と連絡があり、兄と相談した結果、私が急遽、資格取得を目指すことにしたのです」と能見先生。当時、先生はすでに大学を卒業して日本鋼管(現・JFEホールディングス)で勤務していましたが、入社3年目で同社を早期退職。退職金を活用して名古屋大原学園の杉山 孝男先生に師事し、4月末に退職してからわずか1年3カ月程度で5科目一括合格を成し遂げました。
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朝来市の名産品と竹田城跡の絶景
但馬(たじま)牛といった美味が満載


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朝来市は姫路市、福崎町、市川町、神河町、養父市とともに「播但(ばんたん)貫く、銀の馬車道 鉱石の道」というテーマで日本遺産に認定されており、市内にはかつて生野銀山がありました。江戸時代、この銀山で採掘に携わっていた人たちの冬の栄養源として栽培が始まったとされるのが「岩津ねぎ」です。現在も朝来市で栽培されたものだけがその名を冠することができ、特に白い部分が美味。天ぷらや焼きねぎ、そして定番のすき焼きにすると、その濃厚な甘みを存分に味わうことができます。
また、銀山湖の先にある黒川温泉でも最高の美味に出会えます。それがやまびこ山荘で提供されるぼたん鍋です。メスの柔らかいイノシシ肉や季節の野菜を大将秘伝のだしで食すと、最高の満足感を得られるはず。東京からいらっしゃった方たちをお連れすることもあるのですが、皆さんに満足いただいています。
あと、忘れてはならない特産品といえば但馬牛です。但馬牛は神戸牛の素牛であり、肉質や霜降りの量などの違いはあるものの、赤身とサシのバランスがとても良く、「神戸牛よりも但馬牛のほうがリーズナブルでうまい」と言う人もかなりいます。私自身、手前味噌ではありますが、但馬牛を好んで食することが多いです。
高原リゾートを一気に満喫

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雲海に浮かぶ幻想的な佇いで一躍、話題を集めた竹田城跡。この雲海は円山川から発生する霧によって生じるもので、昼夜間の温度差が激しいほど出やすくなると言われています。発生しやすい時期は9~11月の明け方から午前8時頃までとあって、この時期には多くの方が竹田城跡周辺に宿泊して、早朝から竹田城跡に向かいます。雲海が出るかどうかは気候条件によるところが大きいため、必ず見られるというわけではありませんが、その絶景は筆舌に尽くしがたいほど幻想的なので、ぜひ一度、チャレンジしてみてください。
自然環境といえば、生野高原もイチオシです。市街地からも近く、標高600mと気軽に行ける高原で、清涼感に満ちた空気はリフレッシュするのにもってこい。オシャレなグランピング施設と貸別荘「SUGOMoRI(スゴモリ)リゾート生野高原」もあり、最近は若い人たちの間でも人気を集めているそうです。竹田城跡の前泊の際にこちらを利用すれば、朝来市の自然をさらに楽しむことができると思います。