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シリーズ企画

2022年09月号

日本のアニメーションの魅力

今や世界に誇るコンテンツとなった日本のアニメーション作品。毎年のようにヒット作が誕生する背景には、 多くの作家やスタッフたちの努力があります。そこで、世代を越えて、 日本のアニメーション作品のことを体系づけて学ぶことができる杉並アニメーションミュージアムを訪ね、 日本のアニメの歴史や技術力の変遷を辿ってみたいと思います。

吉田 力雄 氏

東京工芸大学 杉並アニメーションミュージアム 館長

吉田 力雄 氏

1954年千葉県出身。78年日本大学芸術学部放送学科卒業、(株)東京ムービー(現・トムス・エンタテインメント)入社。テレビシリーズ『新・巨人の星』や宮崎 駿の監督作品『ルパン三世 カリオストロの城』などの制作を担当した後、海外共同制作作品のため現地マネージャーとしてTMS-TAIPEIやTMS-SEOULに駐在、国内では『それいけ!アンパンマン』『ルパン三世』『名探偵コナン』他、さまざまな作品の制作委員会に参加。取締役・営業管理部長兼デジタル素材制作室長を経て、マーケティング局長、上席執行役員、特別顧問を歴任し2020年3月に退職、翌4月、東京工芸大学杉並アニメーションミュージアム館長に。

100年以上の歴史を持つ日本アニメの原点

 2017年、一般社団法人日本動画協会は日本のアニメ100周年を記念して「アニメ NEXT−100」プロジェクトを立ち上げ、その活動分野のひとつである「アニメ大全」で、10月22日を「アニメの日」として日本記念日協会に正式登録しました。1958年、日本アニメの成長の原点とも言える作品、日本初の総天然色長編アニメーション映画『白蛇伝』が公開された日に因んで記念日としたそうです。この作品から、杉並アニメーションミュージアムの展示をもとに日本アニメの発展の変遷を辿っていきましょう。『白蛇伝』の制作を手掛けたのは東映動画(現・東映アニメーション)。当時、アメリカに後れをとっていた日本のアニメ業界を発展させ〝東洋のディズニー〟を目指そうと発足した制作会社で、制作効率が悪く経営基盤も弱かった従来の個人プロダクション形態から、アメリカ同様の分業式の制作システムへと転換を図ったことが同社最大の功績です。多くの新人を動員して制作した長編第一作『白蛇伝』の美しくなめらかな映像は観客に衝撃を与え、これを見てアニメーターを目指した人も多いと言われています。

 そんな東映動画とともに日本アニメの礎を築いたのが、手塚治虫率いる虫プロダクションです。1963年1月、同社が手掛けた日本初の連続テレビアニメ『鉄腕アトム』は最高視聴率40%以上、平均視聴率30%の大ヒット作品となりました。そして、この成功に注目したテレビ局や制作会社がアニメ制作に参入、TCJ(現・エイケン)の『鉄人28号』、東京ムービー(現・トムス・エンタテインメント)の『オバケのQ太郎』や『ビッグX』などのヒット作が次々と制作され、後に第一次国産アニメブームと呼ばれる黄金期を迎えたのです。 その後、1970年代以降には日本アニメのエポックとして語られる作品が多数誕生しました。ここからは、そのいくつかを順に振り返ってみたいと思います。

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人間ドラマあふれるSFアニメに若者が熱狂

 1974年にテレビアニメシリーズが放映された『宇宙戦艦ヤマト』(讀賣テレビ、オフィス・アカデミー)は、戦争の描写や重厚な人間ドラマなどそれまでのアニメ作品にはない要素を取り入れた意欲作です。当初こそ視聴率が伸び悩み半年で終了となりましたが、コアなファンが徐々に全国に広がり、再放送もされて人気が上昇、1977年8月に劇場版『宇宙戦艦ヤマト』が公開されると、初日には前夜から劇場前に並ぶ長蛇の列が。社会現象としてマスコミが報じたこともあって、大ヒットしました。

 1979年にテレビ放映された富野由悠季監督の『機動戦士ガンダム』(日本サンライズ)も、『宇宙戦艦ヤマト』と同じく当初はいまひとつ人気が出ませんでしたが、各地での再放送を通じてその面白さが見直され、ヒットにつながっていった作品です。宇宙を舞台とした戦争におけるリアリティに富んだ人間ドラマと、ロボットを「モビルスーツ」と呼ばれる兵器の一種として扱う設定を導入したことなどは画期的で、後に「リアルロボットもの」と称される一連のロボットアニメ変革の先駆けとなりました。また、バンダイから発売されたモビルスーツを再現した玩具「ガンプラ」が爆発的にヒットするなど、キャラクター商品のヒットが作品の強力なプロモーションにつながる先例を作ったのもガンダムの偉業と言えるでしょう。その後、現在に至るまでガンダムシリーズとして数多くの作品が制作され、現在もなお幅広い層に支持されています。

1980年代に産声を上げたスタジオジブリ

 1984年、宮崎 駿が監督・原作・脚本・絵コンテを手掛け、東映動画時代からの彼の盟友である高畑 勲がプロデュースした『風の谷のナウシカ』が公開され、劇場長編アニメとしては久々のヒット作となりました。この成功を受け、宮崎・高畑コンビの作品を世に送るために徳間書店の出資で設立されたのがスタジオジブリです。

 同スタジオは1997年の『もののけ姫』で興行収入193億円を達成、『E.T.』の持つ日本映画界の最高記録を押しのけて歴代1位となりました。この記録は一時、ハリウッド超大作『タイタニック』に抜かれましたが、2002年には『千と千尋の神隠し』があっさり抜き返して観客動員数2350万人、興行収入304億円を達成。さらに第52回ベルリン国際映画祭の最高賞である金熊賞に輝き、ジブリ映画は国内外にファンを持つ日本映画の代表格にまで上り詰めました。

世界に誇る文化となった日本アニメの魅力

 海外からの評価ということでいえば、いち早く日本の高度なアニメ制作技術を世界中に知らしめたのは、1988年に公開された大友 克洋原作・監督の劇場版『AKIRA』(東京ムービー新社、アキラ製作委員会)です。制作費10億円をかけた壮大なプロジェクトの末、当時のアニメ作品としては破格の15万枚のセル画を使用。その1枚1枚の細部までこだわり抜くことで実現した圧倒的なビジュアル表現は世界に衝撃を与えました。

 そして1995年、押井 守監督の『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』(Production I.G 制作)が日本アニメの地位をさらなる高みに押し上げました。電脳化やサイボーグの技術が飛躍的に進んだ近未来を舞台に、実写のようなリアリティを持ちながら実写では表現できない世界を描いたこの作品は、米国ビルボード誌(1996年8月24日号)のビデオ売上ランキングで1位に。これは日本の映像作品としては初の快挙であり、日本ではアニメ関係者のみならず、一般週刊誌や新聞、テレビなどあらゆるメディアが報じ、アニメが日本を代表する文化であることが広く認識されました。

リミテッドアニメに始まる日本アニメの技

 なぜ日本のアニメはここまで多様性を獲得することができたのでしょうか。一つには、制限された環境・条件下で試行錯誤しながらさまざまな表現技法を生み出した日本のテレビアニメ草創期の先人たちの功績が大きかったと言われています。1963年に日本初の連続テレビアニメとして『鉄腕アトム』が放映されたことは既にお伝えしましたが、当時、制作コストや人材確保など難問が山積みで、どのアニメ制作会社も毎週30分枠のシリーズアニメの制作には二の足を踏んでいました。30分アニメをまともに制作すると1000万円かかると言われ、それに比べてアメリカアニメの購入価格は30万円ほど。とても太刀打ちできなかったのです。そこで、国産初の長編連続アニメを目指して手塚治虫が採用したのは1秒24枚必要な動画を8枚で表現する「3コマ撮り」やキャラクターの口だけが動く「口パク」といった「リミテッドアニメ」と呼ばれる手法と、同じ動きをストックして使いまわす「バンクシステム」、全く動かさない「止め絵」といった技法でした。なんと、これによって制作費を150万円にまで圧縮できたといいます。おかげで『鉄腕アトム』以後は数多くのアニメ作品が制作されるようになり、「できることに制約があるなかでいかに自然でいきいきとした動きを演出するか」という試行錯誤の中で新たな技術が生まれ、表現の幅が広がっていったのです。

 そのあたりのことについて、(株)東京ムービー(現・トムス・エンタテインメント)でさまざまなアニメ作品に携わってきた同ミュージアム館長の吉田 力雄氏に聞いてみました。例えば、吉田氏が制作を担当した宮崎 駿監督作品『ルパン三世 カリオストロの城』(1979年)はまさに当時の日本アニメの技術の粋を集めたような作品。「クライマックスで時計塔が水しぶきをあげながら沈んで水門が決壊し、その後現れた宮殿跡を水が流れるシーンでは、背景と作画の工夫によってCGのない当時としては非常に高度な水の動きが表現されている」と吉田氏。「ただ絵の枚数を増やして動きをなめらかに見せればよいというのではなく、『動かし方』を工夫することでリアルで印象的な動きを実現するのはまさに職人技」だといいます。そのこだわりあればこそ、『カリオストロの城』が公開40年以上経った今も色あせずファンに支持され続けているのでしょう。

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映像表現と制作工程の両面で進むデジタル化

 こうして研鑽され続けてきた技術や工夫に、新たな表現の可能性として1990年代後半から加わったのがCG(コンピューター・グラフィックス)です。セル画を何枚も使わずとも、コンピューターで自在に水の動きなどの自然現象を表現したり、モーションキャプチャを使ってキャラクターを実写のように動かしたりできるようになったのです。このCGの使い方についても、日本は独特。海外と違って、単に動きやリアルさのためだけでなく、迫力が出るようあえてデフォルメしたり、手描きアニメ風にしてみたり、とさまざまな可能性を模索しています。

 また、CGの普及とともにこの20〜30年で進んだのがアニメ制作工程のデジタル化です。アニメーションの伝統的な制作方法といえば、紙に描いた絵を透明のシート「セル」に転写し絵具を塗ってセル画を作り、このセル画をいくつも入れ替えながら16㎜フィルムや35㎜フィルムで撮影する、といったものです。しかし、1990年代後半から2000年代にかけて彩色や撮影、背景美術などが次々とコンピューター上での作業に移行。現在では絵コンテや作画の段階からデジタルで行うケースが増えています。

 今やセルアニメは過去のものとなり、デジタルアニメが主流となったわけですが、吉田氏によれば「その中で作品をいかに永続的に保存していくかが課題となっている」とのこと。デジタルアニメはデータだけで作品を管理できる反面、何らかの原因でそのデータが消失したり、保存媒体が不具合を起こしたり劣化することで永久にその作品のオリジナルが失われてしまいます。一方、フィルムであれば環境さえ整えれば数百年の長期保存が可能です。だから作品を後世に残していくためには、フィルム保存が確実なのです。実際、吉田氏は「以前、『名探偵コナン』劇場版の制作に携わっていた頃、かならずデジタルデータを35㎜フィルム原版に戻して長期保管できるようにしていた」そうです。

 ただ、当然のことながらフィルムによる保管には大きなコストがかかります。このことから「アニメ制作会社の中には『フィルム原版は不要』という考えの経営者も多数いるのが現状」。そのコストが経営を圧迫してしまうことを考えると、仕方のない面もあるのでしょう。「とはいえ、フィルムやセル画、原画、さらにキャラクター・美術設定などの資料も含め、全ては日本が世界に誇るアニメ文化にとって大事な資産。国を挙げてのアーカイブ化や保存管理などが必要だと思う」と吉田氏は話します。

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ネット配信動画の普及でアニメ作品がさらに急増

 日本アニメ業界は今なお多種多様な作品を生み出しており、インターネット配信されている動画コンテンツをパソコンやスマートフォン、タブレットなどで手軽に視聴するスタイルが普及したことで、その勢いは増しています。当然、こうした中で若い作り手たちがどんどん育っています。そもそもアニメーションには正解・不正解もマニュアルもなく、その表現の可能性は無限大。ぜひ次世代を担う若手作家やスタッフたちには、これまで業界で先人達の積み重ねられてきた技術を基本としつつ、これまでにない新たな表現に挑戦していってほしいと思います。

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