蓄積した経験と知見を強みに
激動の時代の顧問先を支える
医療分野に強みを持ち、長年にわたって香川県内外の顧問先を支援し続けてきた 筒井伸司税理士事務所。筒井 伸司所長は税務会計業務の傍ら、裁判所の調停委員や大学院の 非常勤講師、四国税理士会の会長を務めるなど、公的にも多くの職務を担ってきたそうです。はたして、 その情熱の源泉はどこにあるのでしょうか。早速、税務会計業務や地域にかける思いを伺いました。
病院の事務長を経て医療分野に強い税理士に
筒井先生は税理士になる前、会計事務所での勤務を経て、地元・高松の病院で事務長を務めながら試験勉強に励まれていたそうですね。
筒井 伸司所長(以下、敬称略) 当初は事務長の業務をこなして医療分野のことを学びながら、その合間に税理士試験の勉強をしようと思っていたのですが、実際にはなかなか休みも時間も取ることができず、勉強に打ち込むことはほとんどできませんでした。事務長という立場もあって、病院の総務や経理に責任を持つ必要がありましたし、手術が入ると深夜でも呼び出されるような環境でしたから。例えば、当時その病院では手術時に他の病院から応援の医師に来てもらっており、手術が終わると事務長である私がその人たちに報酬を支払う必要があったのです。
そういった環境下にありながらも、最終的には税理士試験に合格されたのですね。
筒井 合格までにはそれなりに時間を要しましたが、1990年に税理士試験に合格し、翌年に開業しました。
病院の事務長を務めた経験は生きましたか。
筒井 もちろんです。当時はまだ医療分野に強い会計事務所が少なかったこともあり、開業してからは口コミで病院からの相談や依頼が相次ぎました。
筒井先生は税理士業務のどのようなところに惹かれたのですか。
筒井 何より経営者と対話できることに魅力を感じました。自分が知らない考え方や業界のことを学べるのがあまりにも楽しかったのです。振り返ってみると、子どもの頃から祖父や祖母と話すのが大好きだったのですが、それもやはり多くの〝学び〟があったからなのだと思います。今も経営者との対話は私の活力源ですし、生まれ変わっても税理士になりたいと思っているほどです。だから、これまでに仕事を苦に感じたことはありませんし、今も昔も土日はもちろん、昼夜を問わず、顧問先や仕事のことを考え続けています。それでも滅多なことでは体調を崩したりしないので、頑丈に生んでくれた親に感謝したいですね。
多様な経験を積んで税理士としても成長
医療分野以外の顧問先は、どのようにして拡大していったのですか。
筒井 各種団体からの要請で、消費税などをテーマにした研修を無報酬で引き受け続けたところ、徐々に個別にご相談いただけるようになり、顧問契約が増えていきました。当時も今も年間50件くらいの研修を実施していますが、税務会計の制度が変わるたびに猛勉強し、常に最新の情報を適切にお届けできるように努めています。
事務所の外でもさまざまな活動を展開されてきたと伺っています。
筒井 裁判所の調停委員を20年近く務め、さまざまな事案の調停に尽力してきました。詳細をお伝えすることはできませんが、とにかく多くの事案に接したことで、自分自身の想像力の幅を広げられたように思います。税務会計業務においても想像を絶するようなケースに直面することがありますが、その際に冷静に対応できるのは調停委員としての経験の賜物かもしれません。
大学院で非常勤講師を務められた経験もあるそうですね。
筒井 税務会計に関する講義を担当させていただきました。各種業界向けの研修を担当させていただく時もそうですが、人に何かを伝えたり、教えたりする時には、多くの情報を集め、自分なりに整理しなければなりません。その作業が私にとっては最高の学びの時間になっているのです。また、非常勤講師を務めていた頃の教え子の中には税理士になった人もいます。そういった方々と一緒に地域や顧問先のために奮闘できることには、ご縁のありがたみを感じますね。
その他、四国税理士会の会長も務められていたそうですね。
筒井 2013年6月から2期4年間務めさせていただきました。その頃は正直、事務所の仕事が覚束ない時があるほど多忙な日々が続きましたが、さまざまな研修や会合に出席したり、全国各地の先生方と知己を得られたことは、私にとってかけがえのない財産になっています。
顧問先と向き合いアフターコロナに挑む
長年にわたって顧問先を支援する中で、地域の変化をどのように感じていますか。
筒井 かつての香川県には多くのものづくりの街がありました。例えば、東かがわ市であれば、手袋の産地として全国にその名をとどろかせていました。もちろん、今も知る人ぞ知るものづくりの街ではありますが、その勢いは往時と比べてかなり衰退しています。一方で2010年から3年おきに実施されている瀬戸内国際芸術祭は順調に評価を高めており、国内の観光客はもちろん、インバウンドの増加にも大いに寄与しています。
顧問先の様子をご覧になられていて、何か変化を感じることはありますか。
筒井 昔から経営支援や経営分析などに力を入れてきましたが、以前のほうが経営に関する質問や相談が多かったように思います。ただ、それは私自身のコミュニケーションの取り方の問題であるかもしれないので、今後は今の時代に合ったスタイルを模索していきたいと考えています。
特に、コロナ禍の期間中は飲食業や宿泊業を筆頭にあらゆる企業の業績が落ち込みました。その間、当事務所としてはゼロゼロ融資や補助金の申請のサポートなどに尽力してきましたが、この5月くらいからゼロゼロ融資の返済が本格化し始めたとも言われています。また、昨今の物価や燃料代の高騰によって、中小企業の経営状況はますます厳しいものになってしまうでしょう。この状況を何とか打開し、復調しつつある人手や観光客を取り込むためには、あらゆる知見を活用しなければなりません。だからこそ、当事務所としても顧問先に積極的にアプローチをかけ、これまでに蓄積してきた知見などをお伝えしていきたいと思います。
昨今、顧問先はどういった課題に直面していますか。
筒井 資金繰りはもちろん、後継者の不在や人手不足など、さまざまな問題を抱えています。また、インボイス制度や改正電子帳簿保存法への対応も、中小企業にとっては大きな負担になるはずです。一事務所ではそれらの問題に満遍なく対応することは難しいので、MJSとも連携しながら、顧問先の課題に向き合っていければと考えています。
ところで、筒井先生は音楽活動もされているそうですね。
筒井 コロナ禍に入ってからはほとんど人前で演奏していませんが、かれこれ25年ほど毎月のようにバンド仲間とライブハウスなどのステージに立っていました。また、時にはソロで老人ホームの慰問に出かけることもありました。ちなみに、私が担当しているのはボーカルとギターで、ギターは中学生の頃から弾き続けています。演奏するのは主にエルヴィス・プレスリーなどのオールディーズナンバーで、多くの人にとって耳馴染みがあることもあって、ライブハウスでも老人ホームでも喜んでもらっています。コロナ禍もかなり落ち着いてきたことですし、そろそろ音楽活動も再開したいですね。
本日はありがとうございました。ますますのご発展をお祈りいたします。
History & Story税理士までのあゆみ
筒井先生が税理士を目指すきっかけになったのは、近所の税務署OBの先生からの「ちょっと仕事を手伝ってくれないか」という一言でした。「当時の私は20歳くらいで、税理士という仕事が何なのかも分からず、ただただ軽い気持ちで引き受けました」と筒井先生。税務会計に関する知識はほとんどなく、ひたすら勉強しながら仕事に取り組む日々だったそうですが、5年ほど勤務するうちにその魅力に惹かれ、自然と税理士を目指すようになったそうです。その後、医療分野の税務会計業務に可能性を感じた筒井先生は地元の病院の事務長に就任。事務長としての仕事に取り組みながら税理士試験の勉強にも励み、1990年に試験に合格。翌年、税理士登録を果たし、開業されたそうです。
筒井伸司税理士事務所
- 所在地/
- 香川県高松市塩上町2-16-6
- TEL/
- 087-835-9880
- 設立/
- 1990年
- 職員数/
- 7名
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香川県ならではのうどん文化と雑煮文化
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香川県の名物といえば、なんといっても讃岐うどんでしょう。私が住んでいる高松市内にも数えきれないほどのうどん屋があり、多くの店舗が連日、地域内外のお客でにぎわっています。県外の皆さんには、ぶっかけうどん(茹でたてのうどんを冷水で締め専用のつゆをかけて提供)や醤油うどん(茹でたてのうどんを冷水で締め醤油をかけて提供)などが人気ですが、シンプルなかけうどん(茹でたてのうどんを冷水で締め熱い出汁をかけて提供)や釜揚げうどん(茹でたてのうどんを茹でたお湯と一緒に器に入れて提供)、釜玉うどん(茹でたてのうどんに生卵と醤油をかけて提供)なども最高です。
うどんのコシやいりこ出汁の風味、醤油の蔵元などは店舗によって千差万別なので、うどんのサイズを小にして食べ歩いてみるのも一興です。なお、地元の人たちはうどんの喉越しを楽しむ傾向があり、うどんをあまり噛まずに飲むようにして食べます。県外の方にはちょっと難しい食べ方かもしれませんが、よかったらチャレンジしてみてください。
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香川県の雑煮は他の地域のものとは一味も二味も違います。汁が白味噌仕立てとなっているだけでも驚きかもしれませんが、さらにそこにあん入りの丸餅、大根、金時人参などが入っているのです。温暖で雨が少ない香川県では、江戸時代からサトウキビ栽培が奨励されてきました。そして、讃岐地方の白砂糖は「讃岐三白」として全国的に知られるまでになり、明治時代あたりからこの白砂糖をふんだんに使ったあんもち雑煮がハレの料理として作られることになったと言われています。
意外に思われるかもしれませんが、甘じょっぱい汁とあん入りの丸餅の相性は抜群。一度食べていただければ、きっとやみつきになると思います。私もこのあんもち雑煮が大好物で、時折、無性に食べたくなることがあります。そこである日、インスタントの味噌汁とスーパーで購入した大福で、手軽にあんもち雑煮を再現できないかと挑戦してみたのですが、大福の皮が味噌汁に溶け出してしまい、結果は惨敗に終わってしまいました。もっとも、県内の甘味処の中にはあんもち雑煮を提供しているところもあるので、気になる方はぜひご賞味いただければと思います。