2021年09月号
顧問先目線の記帳代行を入口として
中小企業・小規模事業者の経営をトータルサポート
繊維工業と伝統工芸を地場産業として栄えてきた石川県中能登地区の中核市である七尾市に事務所を構える若狹泰英税理士事務所。現在は顧問先の大多数を占める中小企業・小規模事業者に真摯に向き合いながら、 記帳代行を入口としたトータルサポートに注力しています。早速、これまでの歩みやその業務内容について、若狹 泰英所長に伺いました。
現場経験を豊富に積んだ後大学院進学を経て税理士に
若狹先生はさまざまな紆余曲折を経て、現在の事務所の所長を務めることになったそうですね。
若狹 泰英所長(以下、敬称略) 私は大阪の専門学校で学んだ後に地元に戻り、現在の事務所の前身である細川正雄税理士事務所で勤務し始めました。当初は仕事をしながら資格を取得しようと考えていたのですが、いざ実務に携わり始めると思うように時間をとることができず、2科目を残して資格を取得できない状態が続いていました。ただ、細川先生からの信頼の下、多くの顧問先を担当させていただき、多様な実務経験を積めたのは大きかったです。分からないことがあっても今のようにインターネットで調べられる状況でもなかったので、仕事が終わってから、金沢の書店などによく調べに行ったりしながら着実に見識を深めることができました。当時のそういった経験は、まさに今の自分の糧になっていると思います。
最終的に税理士資格はどのようにして取得したのですか。
若狹 細川先生の急逝が大きな転機になりました。他事務所の先生に協力していただいて何とか事務所自体は存続させることができたのですが、やはり私自身が有資格者にならなければきちんと事務所を承継することができないので、再び税理士資格を意識するようになりました。その際に偶然金沢の大学院から送付されてきたパンフレットが目に入り、あらためて「税法」または「会計学」の修士課程を修了すれば税理士試験の科目を免除されるということを認識しました。正直、今になって税理士試験に取り組むだけの余力はなかったので、もはやこの道しかないと考え、2013年9月から大学院に通い始めることにしました。
仕事をしながらの大学院生活はなかなか大変だったのではないですか。
若狹 想像以上に大変でした。毎日、通常業務を終えてから金沢のキャンパスまで移動して21時過ぎまで講義を受けるという生活が続きましたので。特に課題や論文の時期は明け方までキャンパスで勉強し、急いで自宅に戻ってシャワーを浴びてまた仕事に向かうといった日々でした。その甲斐あって、15年8月には修士課程を修了、翌年5月には税理士登録を果たすことができ、7月に事務所名を現在の名称に変更しました。
地場産業が衰退傾向にある中コロナ禍で二極化がさらに進行
顧問先の傾向や特色についてお聞かせいただけますか。
若狹 中能登地区は繊維工業と伝統工芸を地場産業として発展してきた地域ですから、かつてはやはりこれらの産業に携わる顧問先が多数を占めていました。実際、繊維工業に関連する顧問先だけで2、3割を占めていたのではないでしょうか。しかし、現在はいずれの産業も衰退傾向にあり、ある程度の規模の企業しか残っていない状況です。あとは変わったところだと和倉温泉の旅館なども抱えていますが、全体的にみると中小製造業が圧倒的に多いですね。
顧問先の景況感はいかがですか。
若狹 厳しい状況にあり、廃業などの相談も増えています。私たちとしても、債務超過が続いており、将来が見えない顧問先については、これ以上、厳しい状況になる前に会社を整理してはどうかと提案することもあります。酷な提案ではありますが、経営者にそういった選択を促し、経営者と従業員の未来を守ることも私たちの重要な役割の一つだと思うのです。
そうした中で苦境から脱する企業はどのような経営努力をしているのでしょうか。
若狹 苦境に陥っている企業の多くは下請け業務に徹しているところで、最低賃金の引き上げ等によって利幅が減り、ジワジワと追い詰められている状態にあります。他方、そこから脱却している企業は提案型のモノづくりやサービス開発に挑み、他社にはそう簡単に追いつかれないような事業展開をしています。そういった企業は小規模であっても強気の価格交渉ができており、売上を維持あるいは伸ばすことができているのです。もちろん、それは決して簡単なことではありませんが、これからの時代に中小企業が地方で生き残っていくにはそういった取り組みが必要になってくるのではないでしょうか。
和倉温泉は日本有数の温泉地として知られていますが、コロナ禍によるインバウンドの減少は地域にどのような影響を及ぼしていますか。
若狹 金沢などはインバウンドでごった返していましたが、和倉温泉はまだそれほどでもなかったため、インバウンド減少の影響はそこまで大きくありませんでした。しかし、国内の旅行者が減少した影響は深刻で、多くの旅館が売上を大幅に落としています。
中には売上を伸ばしている旅館もあるのでしょうか。
若狹 以前から個人旅行客向けに客室露天風呂を設置するなど個室対応に力を入れていた高級路線の旅館に関しては、他の旅館と比べるとコロナ禍の影響を最小限に食い止めている状況です。旅館業界に関しても、このようにコロナ禍による二極化が進んでいるので、旅館業の皆さんにはぜひともコロナ禍に関連した補助金などを活用し、今のうちにポストコロナ社会に対応した設備投資などに踏み切ってほしいと思います。
記帳代行は中小企業・小規模事業者の経営支援の入口になる
そういった状況下にあって、どのような事務所経営を進めていきますか。
若狹 事務所を引き継いだ当初はとにかくいろんな仕事を引き受けて、少しずつ事務所の規模を拡大させていこうという思いを持っていました。しかし、下手に拡大路線に走ってしまうと、顧問先に対するきめ細かい気遣いや目配りができなくなってしまいます。それでは地元の企業を支えることができなくなるので、今は目の届く範囲の顧問先をしっかりとサポートしていきたいと考えています。
顧問先企業にはどのようなところが多いのでしょうか。
若狹 年商数億円規模の企業もありますが、多くは中小零細企業です。経理にコストを掛けられず、自計化が難しい企業がほとんどです。
そのような顧問先をサポートするにあたって、どのようなことに注意を払っていますか。
若狹 こういった企業の多くは社内に税務会計に精通した社員を抱えていないので、経営者が自らさまざまなことを問い合わせてきます。その内容は税務会計に限らず、実に多岐にわたるわけですが、私は常々、職員に向けて「どんな質問に対しても真摯に向き合い、自分で回答できない内容であれば私に確認して、正確かつ迅速に回答してほしい」と伝えています。もちろん、私だけで対応できない質問に関しては、知り合いの弁護士や司法書士などに問い合わせて、フィードバックするようにしています。
記帳代行を入口にしながら、トータルサポートを実施しているわけですね。
若狹 そのようなイメージです。実際、当事務所では顧問先の9割程度の記帳代行を引き受けていますが、それゆえに日々の微妙な変化を敏感に察知することができ、問題点があればいち早く指摘し、適宜、改善を促すことができるのです。もちろん、時には厳しい指摘をしなければならない場合もありますが、その際にも消極的になることなく、あくまでも正したほうが良いというスタンスで指導させていただくようにしています。
今後の目標をお聞かせください。
若狹 コロナ禍以降、数多くの給付金・支援金等の申請業務などに対応してきたこともあって、この間は私も職員もほとんど休むことなく働き続けてきました。もっとも、それは顧問先にとって必要不可欠なことだったので致し方ないのですが、これからの時代はやはりもう少し労働環境の改善を図っていく必要があります。コロナ禍が収束したら、まずは事務所の働き方改革を積極的に進め、新たな職員を迎え入れられる体制を構築していきたいですね。インボイス制度の導入など税務会計業務はますます煩雑化していますが、MJSのシステムなどを有効活用しながら、何とかこの目標を果たしたいと思います。
本日はありがとうございました。ますますのご発展をお祈りいたします。
高校時代に進路に迷う時期があったという若狹先生ですが、工務店に勤務していた父上から税理士という仕事があること、そして税金は社会においてなくならないということを聞き、税理士の仕事を意識するようになったそうです。そして、高校卒業後は大阪の専門学校に入学して朝9時から夜10時まで勉強に励み、見事、その年の6月には日商簿記1級に合格しました。ところが、「そこからが大変だった」と若狹先生。3年半で税理士試験の3科目に合格したものの、都会暮らしが性に合わないため、いったん地元に戻ることを決意。以来、細川正雄税理士事務所(若狹泰英税理士事務所の前身)に勤務しながら勉強に励むことにしたのですが、「実務に明け暮れて勉強の時間をつくることができないまま20数年が経過してしまった」といいます。その後は本文で触れた通り、細川先生の急逝を機に大学院に進学、修士課程を修了することで試験科目の免除を受け、2016年に悲願の税理士登録を果たしたそうです。
若狹泰英税理士事務所
- 所在地
- 石川県七尾市塗師町37番地 北野ビル2F
- TEL
- 0767-57-5117
- 設立
- 2016年
- 職員数
- 5名
- URL
- http://www.wakasa-kaikei.co.jp