The Essay Series from Accountants
友が旅立った
――小野 毅、追悼――
彼との出会いは、27年前。中国会役員会。初めて参加した全国統一研修会 福岡大会では、共に中洲の夜を堪能した。尾道の大本 浩二(システム開発委員長)、福山の桒田 三秀(広報委員長)、広島の清水俊介(情報ネットワーク委員長)、小野さんの四人、どこに行くのも一緒だった。
人呼んで、中国ミロク会計人会中年旅行団。略して、中中団(チュウチュウダン)。全国各地で開催された統一研修会に参加した。ススキノ、国分町、栄、祇園、中洲、そして銀座、六本木。団員みんな、まだ三十代。遊びたい盛りだった。夜の部だけでなく、基調講演をこっそりさぼって、小野さんコーディネートで釣りに出掛けた。沖縄では座間味諸島で釣り船をチャーターし、東京ではお台場の屋形船から釣り糸を垂らした。
小野さんは、趣味の多彩な人だった。好奇心の塊のような人だった。ちょい悪で、シャンパンに詳しくて、ワインも大好きで、車に凝っていて。
東京お茶の水界隈を散策していて、「ちょっと買い物してくる」と姿を消したと思うと、数十万するウクレレを手にして戻ってきた。広島での会議の合間、近くの百貨店に足を運んで、ブランド品の大きな紙袋を下げて戻ってくる。腕にはビンテージの高級時計。それでいて、嫌みがないのは不思議だった。
もちろん、会議でも実力を発揮した。総務委員長としての細かな作業は事務局任せだが、会議が紛糾した際は的確なまとめの意見をビシッと述べる。空気を読んだ発言で若頭的な役割を演じた。4年前、会長に就任した私を、しっかりと支えてくれた。アドバイスも的確で、暴走した会員には巧みにたしなめた。
連合会でも副委員長歴は20年近い。昨今は新規事業小委員会のリーダーを務め、次期総務委員長として期待されていたと聞く。中国会でも、次期会長の第一候補だった。
統一研修会で地方に行くと、まずは地元の寿司屋で刺身と握りで一杯が慣例。時には中国会の若手を連れて、時にはミロクの社員を連れて。夜のお店も含めて、お勘定の際は、必ず男気ジャンケンに興じる。小野さんは、からっきしジャンケンに弱く。決して男気を見せない。中国会の若手の多くが餌食となった。この私も含めて。
小野さんは、人生の最期の男気ジャンケンだけ、しっかりと勝ってしまった。先に逝くのが男気ではないでしょうよ。
中中団、残り三人もそのうち天国に行きますから、それまで好きなシャンパン飲みながら待っていてください。お支払いは男気ジャンケンしましょうね。
合 掌
共同寄稿
中国ミロク会計人会
清水 俊介 先生
大本 浩二 先生
桒田 三秀 先生