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東京会企画①

2020年09月号

高輪ゲートウェイ駅と
その周辺の魅力

今年3月14日、山手線30番目の駅となる高輪ゲートウェイ駅が品川―田町駅間に誕生し、同線では49年ぶりの新駅ということもあって話題になりました。そこで、この機会に同駅の趣向や特徴、駅周辺の見どころや史跡、そして新駅を中核とした新たな都市開発の動きなどについて、一般社団法人港区観光協会の渡邉 仁久会長にお話しいただきました。

新たなゲートウェイに

 JR品川駅の北側、山手線田町―品川間にある車両基地の一部とその周辺エリアを舞台に、JR東日本が大規模な都市開発事業「品川開発プロジェクト」を進めています。まちづくりのテーマは「グローバルゲートウェイ品川」。「国際ビジネス交流拠点にふさわしい多様な都市機能の導入」などの方針の下、広大な敷地内に国際水準のホテルや高層マンション、複合商業施設、文化創造施設、巨大駅前広場などが整備される予定です。高輪ゲートウェイ駅は、同プロジェクトの中核施設として開業したものです。「グローバルゲートウェイ品川」のまちびらきに合わせ2024年頃には全設備が使用開始されます。

 その駅名は賛否両論を巻き起こしましたが、「ゲートウェイ」に込められた歴史的背景についてはぜひ多くの人に知ってもらいたいものです。皆さんはかつて高輪に「大木戸」が置かれていたことをご存じでしょうか。大木戸とは街道上の江戸内外の境界に設置された関所のことで、人間や物品の出入りを管理する役割を有していました。つまり、高輪は古くから江戸の玄関口だったのです。JR東日本はそんな歴史ある高輪の地を現代において東京の新たな国際ビジネス交流の玄関口に生まれ変わらせようと、新駅の名称を「高輪ゲートウェイ駅」としたわけです。

最先端技術溢れる次世代型の駅舎

 JR東日本が「新しいことをはじめる場所」と位置付けている通り、高輪ゲートウェイ駅の駅舎には、新時代の国際ビジネス交流の玄関口にふさわしいさまざまな趣向が凝らされています。まず何より目を引くのが、建築家の隈 研吾氏による洗練された「和」のデザイン。随所に福島県産の杉材などが用いられている他、4000㎡の白い大屋根は折り紙がモチーフとなっています。日本の駅舎としては珍しい吹き抜け構造なので、ホーム階でもこの天井からのやわらかな光を感じることができます。

 そんな駅舎内を歩いてみれば、そこかしこに最先端技術が活用されていることに驚くでしょう。例えば改札内のコンコース2階にある無人AI決済店舗「TOUCH TO GO」では、店内に設置したカメラやセンサーで利用者が手に取った商品を認識し、購入金額を自動的に計算してくれます。他にも、利用者の音声を認識して駅構内や周辺観光スポット、乗り換えなどを日本語、英語、中国語、韓国語で案内してくれるAIサイネージ、警備や清掃、案内、移動支援、消毒作業といった業務を担う各種ロボットが試行で導入されるなど、まさに次世代を思わせるワクワク感に満ちています。

高輪ゲートウェイ駅の外観<br> 提供:JR東日本

高輪ゲートウェイ駅の外観
提供:JR東日本

無人AI決済店舗「TOUCH TO GO」<br> 提供:JR東日本

無人AI決済店舗「TOUCH TO GO」
提供:JR東日本

約23000㎡の広大な駅前広場。駅開業イベント「Takanawa Gateway Fest」(7月14日~9月6日)の舞台に<br> 提供:JR東日本

約23000㎡の広大な駅前広場。駅開業イベント「Takanawa Gateway Fest」(7月14日~9月6日)の舞台に
提供:JR東日本

往時の歴史・文化が感じられる高輪散策

 このような次世代型駅舎を中核として、今後の都市開発で新都心とも呼べる新たな街が形成されていくことになります。その「グローバルゲートウェイ」としての高輪とともにぜひとも注目したいのが、先に述べた歴史的背景を今に伝える史跡や名所の数々です。というわけで、駅周辺のスポットをいくつか紹介いたしましょう。

 まず駅を降りて真っ先に見てほしいのが、かつての「高輪ゲートウェイ」の痕跡である高輪大木戸跡。江戸の各町にあった「町木戸」に対して、この大木戸は江戸全体を守る最重要の木戸として旅人やその送迎客で大いに賑わったといいます。伊能忠敬が日本地図作成のための測量の起点としたのも、この大木戸でした。現在では国道15号線沿いに東側の石垣が残っているのみですが、現存する江戸大木戸の遺跡はここだけ。ぜひその姿を一目見てから、高輪散歩を始めてください。

高輪大木戸跡。江戸時代中期の1710年、現在の銀座8丁目付近に石垣を築いて設置され、その十数年後に現在の場所に移設されたという

高輪大木戸跡。江戸時代中期の1710年、現在の銀座8丁目付近に石垣を築いて設置され、その十数年後に現在の場所に移設されたという

浅野内匠頭長矩とその夫人の瑶泉院、四十七士が埋葬されている泉岳寺の山門

浅野内匠頭長矩とその夫人の瑶泉院、四十七士が埋葬されている泉岳寺の山門

泉岳寺境内にある「血染めの梅と血染めの石」。浅野内匠頭長矩が田村右京大夫邸で切腹を行った際、その血がかかった石と梅だと伝えられている

泉岳寺境内にある「血染めの梅と血染めの石」。浅野内匠頭長矩が田村右京大夫邸で切腹を行った際、その血がかかった石と梅だと伝えられている

 高輪における歴史探訪といえば、外せないのが萬松山泉岳寺です。播磨赤穂藩浅野家の菩提寺で、第3代藩主・浅野内匠頭長矩とその夫人の瑶泉院、四十七士が埋葬されており、記念館では遺品などを観覧することができます。この泉岳寺をはじめ、周辺には赤穂浪士ゆかりのスポットがいくつかあります。その一つが泉岳寺北西に位置する「大石良雄外十六人忠烈の跡」。赤穂浪士のうち大石内蔵助良雄を含む17名が切腹をした場所と伝えられています。幕府の命で彼ら17名を預かった細川家の高輪下屋敷の敷地は現在、高松中学校などになっていますが、その屋敷跡の一部が塀に囲まれて残されています。

 これらの他、〝天下のご意見番〟として講談や映画などで人気の旗本、大久保彦左衛門とその家来株の一心太助の墓がある立行寺、同じく大久保彦左衛門が余生を送った八芳園、1933年に建てられたレトロな外観の高輪消防署二本榎出張所、かつてJR線路の下を小舟が通るための水路だったという〝天井が低すぎる〟高輪橋架道橋など、往時の歴史や文化が感じられるスポットはまだまだたくさんあります。

 また、飲食店や商店が少ないエリアながら、〝小泉純一郎元首相が愛した餃子〟で有名な中華料理屋「壇太」や絶品の豆大福を求めて行列ができる老舗和菓子屋「松島屋」などこだわりのお店も点在しているので、余裕があれば散策の際に立ち寄ってみるのも良いと思います。

輪消防署二本榎出張所

高輪消防署二本榎出張所

伊皿子交差点近くにある大正7年創業の老舗和菓子屋、松島屋

伊皿子交差点近くにある大正7年創業の老舗和菓子屋、松島屋

人気の豆大

人気の豆大

 高輪ゲートウェイ駅周辺について駆け足で紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか。高輪を訪れる際は、ぜひ新時代の都市の姿と在りし日の町の姿、両方をご覧ください。

在のところ、線路を挟んで海側に行くには泉岳寺駅にほど近いこの高輪橋架道橋を通る必要がある。トンネル新設のため、現在は車両通行止め

現在のところ、線路を挟んで海側に行くには泉岳寺駅にほど近いこの高輪橋架道橋を通る必要がある。トンネル新設のため、現在は車両通行止め

旧細川邸のシイの木は都内有数のシイの巨木で都の天然記念物

旧細川邸のシイの木は都内有数のシイの巨木で都の天然記念物

塀には「自刃せる義士」たちの名と享年が刻まれている

塀には「自刃せる義士」たちの名と享年が刻まれている

大石良雄外十六人忠烈の跡(中には入れません)

大石良雄外十六人忠烈の跡(中には入れません)

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