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北陸会企画

2020年11月号

明智光秀のゆかりの地を巡る
福井の旅

福井県内には2020年のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』の主人公、明智光秀ゆかりの地が点在しています。光秀が夫婦でその門前で暮らしたとされる称念寺や明智神社など、光秀の軌跡とゆかりの地の数々を福井県観光連盟の前澤 裕貴主査に紹介いただきました。

明智光秀が福井で暮らした軌跡と伝承

 福井県には2020年のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』の主人公、明智光秀ゆかりの地が数多くあります。光秀については謎が多く、いつどこで生まれ、どのように育ったのかといったところにも諸説があります。ただ、一般的には美濃から越前、京へと渡り歩いたとされ、最終的に戦国時代最大のミステリー「本能寺の変」に至ったといわれています。

明智光秀マップ(光秀と戦国時代年表)

明智光秀マップ(光秀と戦国時代年表)

※こちらからダウンロードできます

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 光秀は主君・織田信長を討った謀反人というイメージがある一方で、近年においては優れた為政者、戦国武将として軍事・政治・外交などすべてを万能にこなす逸材として高く評価されています。特に明智神社のある福井市東大味地区では今も「あけっつぁま」(明智様)と呼ばれ、地域住民に親しまれています。

 戦国時代における越前は京に近く、地政学的にも天下を狙う大名にとって、またお家再興を果たしたい足利将軍家にとっても力を蓄える好立地だったと思われます。そして、光秀の越前での足跡は、称念寺(坂井市)や明智神社(福井市)、一乗谷朝倉氏遺跡(福井市)などでたどることができます。また、敦賀市の金ヶ崎は朝倉軍から撤退する信長軍の殿を務めたといわれる地であり、戦国時代ファンにはよく知られています。

 ところで、『麒麟がくる』は5月17日から越前編に入っていましたが、間にコロナ禍による3カ月の放映休止を経て、8月30日からの再開となりました。ドラマの放送に合わせて、ノボリや案内板などを設置しているスポットも多いので、それを目印に光秀ゆかりの地を回ってみてはいかがでしょうか。また、以下に各スポットの詳細を紹介しますので、その際の参考にしていただければ幸いです。

一乗谷朝倉氏遺跡 復原町並

一乗谷朝倉氏遺跡 復原町並

一乗谷朝倉氏遺跡 唐門

一乗谷朝倉氏遺跡 唐門

称念寺にある松尾芭蕉の句碑

称念寺にある松尾芭蕉の句碑

称念寺

称念寺

家族とともに過ごした地

・時宗 称念寺 坂井市丸岡町長崎19?17

 721年に創建し、朝倉家をはじめ、歴代の越前国主から手厚く保護された由緒ある寺で、南北朝時代の新田義貞の墓所があります。美濃(岐阜県)から越前に逃れた光秀が門前に寺子屋を建てて、妻子とともに住んでいたとされます。妻の煕子が光秀のために自慢の黒髪を売って連歌会の準備をしたという「黒髪伝説」があり、その夫婦愛に感動した松尾芭蕉は「月さびよ 明智がつまの はなしせむ」と詠んだとされ、境内にはその句碑が残っています。

明智神社(ガラシャ生誕の地)

明智神社(ガラシャ生誕の地)

朝倉氏に身を寄せていた時の住居跡

・明智神社 福井市東大味町

 称念寺門前での生活の後、朝倉家に抱えられてからはこの地を住居としたと考えられます。一向一揆討伐の際、光秀が柴田勝家らに出させた安堵状により村が守られたと伝えられ、地元の人々は現在でも「あけっつぁま」と慕い、この神社を守り続けてきました。

 また、諸説はあるものの、光秀の三女である玉(後の細川忠興の正室である細川ガラシャ)の生誕の地でもあるとも言われています。毎年6月13日には光秀の命日の法要が行われています。

明智神社

明智神社

明智神社に納められている光秀の木像

明智神社に納められている光秀の木像

越前の支配者、朝倉氏が築いた城下町

・「一乗谷朝倉氏遺跡」と「同復原町並」 福井市城戸ノ内町

 戦国時代、5代103年にわたり越前の国を支配し、1573年(天正元年)に信長軍の侵攻によって滅亡した朝倉氏。その栄華をきわめた城下町跡は、町並みがほぼ完全な姿で発掘・一部が再現されており、遺跡が国特別史跡、主要4庭園が国特別名勝、遺跡出土品が国重要文化財に指定されています。遺跡近くにある県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館(0776?4?1?2301)では同遺跡から発掘された貴重な史料や道具などを見ることができます。

光秀が信長の信頼を得た飛躍の土地

・熊川宿 若狭町熊川

 若狭(現小浜市)から京都に続く「若狭街道」は鯖などの魚介類を運ぶことが多かったことから「鯖街道」と呼ばれるようになりました。その鯖街道の道中にあたる若狭町には、宿場町として発展した「熊川宿」があります。1570年4月、織田信長は越前朝倉攻めのために京都を出発し若狭の熊川に入りました。その2日前に信長の先遣隊として熊川に入った明智光秀が細川藤孝らにあてた書状が今に残されています。また、藤孝の正室、麝香は足利将軍直属の武士で、熊川城主だった沼田光兼の娘であり、光秀の三女、玉の姑にあたります。

・得法寺 若狭町熊川33?26

 熊川城主だった沼田氏の供養塔がある得法寺は、越前朝倉攻めの際、信長軍に参戦した徳川家康が宿泊したといわれています。

・佐柿国吉城址 美浜町佐柿

 織田信長が越前攻めの際に入城して本陣とし、撤退の際も通ったとされている国吉城は、越前国と若狭国の国境近くの峠に築城された山城で、軍事上の要所でもありました。その城址では石垣や土塁、堀切といった山城の構造を確認することができます。

ひとくちメモ

「金ヶ崎の退き口」の舞台

・金ヶ崎城・金崎宮 敦賀市金ヶ崎町1?4

 金ヶ崎城は敦賀市北東部、敦賀湾に突き出した海抜86mの小高い山(金ヶ崎山)に築かれた山城です。1570年、越前朝倉軍に侵攻中の信長が、妹のお市の方の嫁ぎ先である同盟軍の浅井長政の裏切りによって人生最大の危機を迎えた戦い「金ヶ崎の退き口」(または「金ヶ崎崩れ」)の舞台として知られます。この戦いで光秀は木下藤吉郎(豊臣秀吉)とともに殿を務め、信長唯一の撤退戦となった退却を成功させたといわれています。ちなみに、殿軍は撤退する際の最後尾の部隊で敵の追撃を阻止して本隊を守ることから、最も危険な任務であり、武芸・人格に優れた武将が務める大役でした。

 なお、金ヶ崎城址の麓には金崎宮があり、約400本のヨメイヨシノが咲き誇る桜の名所としても有名です。「難関突破」「開運招福」のお守りや金ヶ崎登城記念「御城印」もあるので、興味がある方は入手してみてはどうでしょうか。

 大河ドラマ「麒麟がくる」の放送のほか、2023年春(予定)の北陸新幹線福井・敦賀開業に向け盛り上がりを見せる福井県。冬には「越前がに」や「若狭ふぐ」など、贅沢グルメで皆様をお待ちしています。美味しくホッと心温まる福井へ、ぜひお越しください。

金崎宮

金崎宮

佐柿国吉城址

佐柿国吉城址

得法寺

得法寺

熊川宿

熊川宿

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