関東信越会企画
2021年11月号
渋沢栄一のゆかりの地を巡る
埼玉県北部エリアの旅
「近代日本経済の父」や「日本資本主義の父」と言われ、明治・大正期に活躍した実業家、渋沢栄一。最近では今年2月から放映中の大河ドラマ『青天を衝け』の主人公としても、2024年に刷新される1万円札の肖像画の人物としても注目されています。そして、埼玉県北部エリアには渋沢栄一生誕の地の他、ゆかりの地が数多くあります。そこで、埼玉県北部地域振興センターに旧渋沢邸をはじめとした渋沢栄一ゆかりの地の数々をご紹介いただきました。
「道徳経済合一説」を説き続け 数々の功績を残した91年の生涯
1840年(天保11年)2月13日に現在の埼玉県深谷市血洗島の農家に生まれた渋沢栄一は、家業の畑作、藍玉の製造・販売、養蚕を手伝うかたわら、幼い頃から父に学問の手ほどきを受け、7歳の時から10歳年上の従兄弟、尾高惇忠の私塾「尾高塾」で本格的に『論語』などを学びました。その過程で「尊王攘夷」思想の影響を受けた栄一や従兄弟たちは高崎城乗っ取りの計画を立てましたが中止し、その後、京都に向かい、24歳で一橋(徳川)慶喜に仕官。一橋家の家政の改善などで実力を発揮した栄一は27歳の時、15代将軍となった徳川慶喜の弟、徳川昭武に随行し、パリ万国博覧会を視察し、欧州諸国の実情に触れました。
明治維新を機に帰国すると日本で最初の合本(株式)組織「商法会所」を静岡に設立、その後、明治政府に招かれ大蔵省の一員として新しい国づくりに深く関わります。そして1873年、33歳で大蔵省を辞した後は、一民間人として株式会社組織による企業の創設・育成に力を入れるとともに、「道徳経済合一説」を唱え、第一国立銀行をはじめとする約500もの企業に関わりました。また、約600もの社会公共事業、福祉・教育機関の支援、さらには民間外交にも熱心に取り組み、ノーベル平和賞の候補にも2度選ばれました。1931年11月11日に91歳の生涯を閉じるまで、栄一はこうした数多くの実績を残してきたのです。
埼玉県北部エリア7市町に残る渋沢栄一ゆかりの地
深谷市、熊谷市、本庄市、美里町、神川町、上里町、寄居町の7市町にまたがる埼玉県北部地域(エリア)には渋沢栄一ゆかりの地が数多く存在します。そこで、埼玉県北部地域振興センターでは管内7市町にある44カ所のゆかりの地をリストアップし、埼玉県のホームページに「渋沢栄一 ゆかりの地ガイドマップ」として掲載しています。中でも、深谷市血洗島にある旧渋沢邸「中の家(なかんち)」は「渋沢栄一生誕地」として県指定旧跡に指定されています。また、このほど深谷市にオープンした「渋沢栄一 青天を衝け 深谷大河ドラマ館」(以下、大河ドラマ館)も渋沢栄一の足跡をたどったり、大河ドラマの世界観に浸ったりする上では欠かせない施設となっています。以下、この大河ドラマ館を皮切りに、ガイドマップ中のゆかりの地を紹介しますので、ぜひとも渋沢栄一の足跡をたどりながら、その業績に思いを馳せていただけたらと思います。
なお、埼玉県では渋沢栄一のことを、敬意と親しみを込めて「渋沢翁」「栄一翁」と呼んでいます。また、深谷市では副読本の『渋沢栄一翁 こころざし読本』が市内の市立小中学校の全児童生徒に配布され、普段から渋沢栄一を題材にした道徳の授業が行われています。さらに渋沢栄一の生地に近い深谷市立八基小学校(1873年開校)では児童全員が「夢なき者は理想なし」といった渋沢栄一の考えをまとめた『夢七訓』を暗唱できたり、北部地域出身の企業家には渋沢栄一の生き方を手本としている方が多かったりと、郷土の偉人・渋沢栄一の思想は脈々と受け継がれています。
●深谷市
・「渋沢栄一 青天を衝け 深谷大河ドラマ館」
大河ドラマ内で実際に使用された小道具や衣装の展示、メーキング映像の上映、ストーリーやキャスト紹介のパネル展示などで大河ドラマの世界観を体験できます。開設期間は2021年2月16日(火)~2022年1月10日(月・祝)9:00~17:00。
・旧渋沢邸「中の家(なかんち)」
血洗島にある渋沢栄一の生誕地。現存する主屋は妹夫妻により、1895年に上棟されました。栄一は血洗島の鎮守である諏訪神社(拝殿は栄一が寄進)の例祭にあわせて毎年のように帰郷するなど、たびたび「中の家」に滞在しました。渋沢家は代々農業を営み、栄一の父親の代には染料のもととなる藍玉の製造・販売を本格的に手掛け、村で1、2を争う富農となっていました。
・渋沢栄一記念館
渋沢栄一の祥月命日である1995年11月11日に開館。資料室には栄一ゆかりの遺墨や写真などが展示されています。講義室には生誕180年にあたる2020年に誕生した「渋沢栄一アンドロイド」から道徳と経済は共に両立して進むべきものという「道徳経済合一説」についての講義を受けることができます。
・尾高惇忠生家
渋沢栄一の従兄弟で学問の師でもある尾高惇忠、その妹で栄一の妻となった尾高千代の生家です。江戸時代後期に惇忠の曽祖父が建てたと言われています。惇忠は後に栄一が設立に関わった官営富岡製糸場の初代場長に就任しました。
●熊谷市
・妻沼聖天山
日本三大聖天の一つとして知られ、縁結びの霊験あらたかな寺院として親しまれています。本殿「聖天堂」は日光東照宮を彷彿とさせる本格的装飾建築で、「埼玉日光」と称され、国宝に指定されています。渋沢栄一は1899年3月31日、妻沼聖天山を参拝したと伝記資料に記されています。
・長島記念館
埼玉銀行(現在の埼玉りそな銀行)の頭取・会長を務めた長島恭助の生家であり、現在は記念館として主屋や石蔵が保存されています。埼玉銀行の創始会社である武州銀行を設立した渋沢栄一の書が3点保管されています。
●本庄市
・農村ミュージアム「かねもとぐら」
蔵を改修して作られ、養蚕に使われていた道具や農具が展示されています。
かつて養蚕業で栄えた地域の歴史と文化に触れることができます。栄一の著書『論語と算盤』などの関連書籍が展示されています。
・旧本庄商業銀行煉瓦倉庫
1894年に設立された本庄初の銀行、本庄商業銀行が担保用の繭や生糸を保管するために建てた倉庫で、国の登録有形文化財に指定されています。渋沢栄一が設立・運営に携わった日本煉瓦製造株式会社の煉瓦を使用して建設されました。
●美里町
・秋蚕(しゅうさん)の碑
明治時代、渋沢栄一の従兄弟で富岡製糸場の初代場長、尾高惇忠が秋にも養蚕をすることを奨励。当時、秋蚕の飼育は一般的ではありませんでしたが、旧松久村(現美里町)に住む深沢豊次郎が積極的に取り組み、その後、全国に広まっていきました。秋蚕の由来と業績を記した石碑には建立の協力者として栄一、惇忠の名が刻まれています。
●神川町
・木村豊太郎君之碑
叔父である木村久蔵と競進社を作り、副社長となった木村豊太郎の功績を称え建てられました。石碑に記されている文章と書体は渋沢栄一によって選ばれました。
●上里町
・岩田忠一郎像
岩田忠一郎により関東で初めて行われた耕地整理事業を記念する胸像。台座には渋沢栄一の書で「烏南岩田忠一郎君像」と記されています。
●寄居町
・今井屋
創業1907年、「タレかつ丼」がおいしい老舗のとんかつ店です。今井屋の3代目、横田富美子さんは渋沢栄一とゆかりのある家系です。
このように埼玉県北部地域には渋沢栄一ゆかりの地が実に広域に点在しています。その足跡をたどりながら、渋沢栄一が生涯大切にした「立志(夢や目標を成し遂げようとすること)と忠恕(まごころと思いやり)」に思いを巡らせてみてはいかがでしょうか。