東北会企画
2021年12月号
南東北が誇る「三大○○」
―「松島」「米沢牛」「三春滝桜」
「南東北」とは、東北地方南部の宮城・山形・福島の3県の総称です。今号ではこの南東北3県が誇る名所・名物である宮城県の「松島」(日本三景)、山形県の「米沢牛」(日本三大和牛)、福島県の「三春滝桜」(日本三大桜)に着目し、それぞれの歴史や特徴、そしてブランディングに関する取り組みなどについて、関係部門の皆様にご紹介していただきました。
日本三景「松島」(宮城県松島町)―一般社団法人松島観光協会
仙台市の北東約20kmに位置する「松島」は、260余りの島々と里山が織りなす美しい景観が特徴ですが、松島が現在のような多島海になったのは5000年くらい前と考えられています。2~3万年前の氷河期以降、地殻変動による一部沈下や気候の温暖化に伴う海水面の上昇などが相次ぎ、現在の姿になったというわけです。
そして、松島湾における人類の足跡は縄文時代前期にまで遡ることができます。現在とほぼ同様の地形が人々の生活の場としても優れていたことから、里浜貝塚や西の浜貝塚、大木囲貝塚などの貝塚が数多く存在し、きわめて良好な状態で保存されています。その背景には松島が面する太平洋の海域は黒潮と親潮が交差する豊かな漁場であったことも大きく影響していると思われます。
古代以降においては宗教の中心地としての側面も持つようになり、特に中世以降は「奥の高野」として知られる雄島を中心とした霊場松島が形成されました。
写真提供:(一社)松島観光協会
江戸時代前期から「日本三景」と呼ばれるように
江戸時代の幕府の儒官、林春斎は寛永20年(1643年)の『日本国事跡考』の中で「丹後天橋立と陸奥松島、安芸厳島が三処奇観とす」と記しました。その後、福岡藩の学者、貝原益軒が天橋立を旅行した時の紀行文『己巳紀行』に天橋立を「日本三景の一(ひとつ)」とするのももっともであると記し、ここで「日本三景」という言葉が初めて登場しました。その影響は明治時代以降も続き、『尋常小學國語讀本』(巻五)には「日本の国には、景色の良い所がたくさんありますが、松島・天橋立・宮島の三つを昔から日本三景と申します」と書かれています。
現在は松島ブランド推進委員会(利府松島商工会内)がこうした「松島」のブランド力を高めるために、「松島ブランド」認定制度を設けています。松島町の事業者や町民が生産・製造・提供した特産品や観光資源などの中から「松島ブランド」を認定し、地域をあげて売り出しているところです。
もちろん、「松島」は地元の財産として、地域の誇りとしても大切にされ続けています。宮城県内の教育機関では幼稚園の児童から大学生まで幅広い世代が校外学習や見学旅行に訪れますし、地元の松島高校には観光科があり、観光客へのガイドや地元企業での研修を行ったりしています。
例年およそ300万人の観光客でにぎわう松島ですが、昨年(2020年)はコロナ禍の影響で年間160万人に、また今年は9月までの入込客数が64万7434人となっています。しかし、今後は宮城県観光支援事業の宿泊・クーポン券キャンペーンなどの効果が期待できるので、ぜひとも名勝地、グルメの宝庫でもある「日本三景松島」の動向に注目いただきたいと思います。
日本三大和牛「米沢牛」―米沢牛銘柄推進協議会
「米沢牛」は品質の高さ、食味の良さから、しばしば松坂牛、神戸牛と並んで日本三大和牛と称されます。「米沢牛」の故郷は山形県南部に位置する置賜地方で、その豊かな自然環境の中でじっくりと時間をかけて育てることで、肉全体に脂身が浸透し、和牛本来の香り、キメ細かい肉質が育まれるのです。しかも、「米沢牛」には厳格な基準があり、以下の4つの条件を全て満たしたものだけが「米沢牛」と認められ、枝肉に証明印(米沢牛購買証明書)が押印されるのです。
①飼育者は、置賜3市5町(米沢市、南陽市、長井市、高畠町、川西町、飯豊町、白鷹町、小国町)に居住し米沢牛銘柄推進協議会が認定した者で、登録された牛舎での飼育期間が最も長いものとする。
②肉牛の種類は、黒毛和種の未経産雌牛とする。
③米沢牛枝肉市場若しくは東京食肉中央卸売市場に上場されたもの又は米沢市食肉センターでと畜され、公益社団法人日本食肉格付協会の格付けを受けた枝肉とする。但し、米沢牛銘柄推進協議会長が認めた共進会、共励会又は研究会に地区を代表して出品したものも同等の扱いとする。また、輸出用は米沢牛銘柄推進協議会が認めたと畜場とする。
④生後月齢32カ月以上のもので公益社団法人日本食肉格付協会が定める3等級以上の外観並びに肉質及び脂質が優れている枝肉とする。
(出典:米沢牛銘柄推進協議会「米沢牛の定義」)
また、「米沢牛」は農林水産省が定める「地理的表示(GI)保護制度」に登録されるなど、対外的にも独自の生産方法でなければ生産できない地域ブランド牛として認められています。
写真提供:米沢牛銘柄推進協議会
「米沢牛」の長い歴史と高い社会的評価
そんな「米沢牛」の起源は明治維新期にまで遡ります。旧米沢藩校「興譲館」の英国人教師、チャールズ・ヘンリー・ダラス氏が明治8年(1875年)に任期を終え米沢を離れる際に、1頭の牛を横浜居留地へ持ち帰り、その牛肉を振る舞われた人々がそのおいしさを褒め称えたことから、ダラス氏は米沢の家畜商と横浜の問屋の間を取り持ち、「米沢牛」として売り出されることに。折しも当時は米沢市内にも最初の牛肉店が開店し、多くの牛肉販売専門店が次々と開業し始めた時期でした。しかも、明治以降の米沢では絹織物が活況だったこともあり、関西地方から織物の買い付けに訪れた商人が「米沢牛」の牛鍋を食し、その味の魅力を全国的に広めていったと言われています。その後、明治中頃までに米沢およびその周辺に放牧場と畜場が設置され、徐々に産業化されていったのです。
それ以降も現在に至るまでにはブランド化に向けたさまざまな取り組みがありました。例えば1992年には、米沢牛の銘柄の確立を図り、生産と流通の振興に資する目的から、行政・関係団体一体となって「米沢牛銘柄推進協議会」が発足。先述した統一基準が定められ、現在に至るまでその品質維持に貢献しています。
「米沢牛」のおすすめの食べ方は焼肉やステーキ、すき焼き、しゃぶしゃぶですが、道の駅などでは牛串や米沢牛コロッケ、ハンバーグなども人気です。現地または全国の提携店でぜひともご賞味ください。
日本三大桜「三春滝桜」―三春町産業課商工観光グループ
本三大桜に数えられる「三春滝桜」とは福島県田村郡三春町にある樹齢推定1000年以上のエドヒガン系の紅枝垂れ桜(ベニシダレザクラ)です。樹高が13・5m、根回り11・3m、枝張りも幹から東に11・0m、南に14・5m、西に14・0m、北に5・5mにも達する巨木で、近くから見る姿は圧巻です。滝のように咲くこの桜の開花時期は例年4月上旬、今年は3月30日、昨年は4月1日、一昨年は4月8日でした。
「三春滝桜」は「根尾谷薄墨ザクラ」(岐阜県本巣市)と「山高神代桜」(山梨県北杜市)とともに大正11年(1922年)10月12日に桜の木として初めて国の天然記念物に指定(指定名称は「三春滝ザクラ」)されたことから、日本三大桜と呼ばれるようになりました。また、同時に国天然記念物に指定された「狩宿の下馬ザクラ」(静岡県富士宮市)と「石戸蒲ザクラ」(埼玉県北本市)とともに日本五大桜と呼ばれることもあります。
1990年に「新日本名木100選」の名木ベストテン、また(財)日本さくらの会選定の「日本さくら名所100選」に選ばれたことから注目を集め、93年には10万人、97年には20万人を超える観光客が訪れるようになりました。観光・撮影スポットとしては三春ダム(さくら湖)がおすすめです。ダムサイトの左岸には2300本の桜が植栽された「さくらの公園」、右岸には1600本のモミジが植栽された「もみじ山公園」が整備されている他、「三春の里 田園生活館」には農産物直売所、飲食・温泉・宿泊・娯楽施設などが併設されているので、一年を通して「三春の旬」を堪能できます。
また、三春町では「三春滝桜」の魅力発信のために「御桜印(滝桜をテーマにした御朱印)」の販売やライブカメラやドローンでの空撮映像などの配信を積極的に行っています。2022年に国天然記念物指定から100年目を迎えることから、各種記念事業の実施を予定しているので、三春町発信の観光サイトなどを参考にしてください。
写真提供:三春町
地元で愛され大切に守られる滝桜
江戸時代から伝わる三春の盆唄に「滝の桜に手はとどけども、殿の桜で折られない」と歌われるように、「三春滝桜」は古くから地域の方々に愛され、守られてきました。樹齢1000年以上の古木を後世に残そうと、90年には地元の老人会を中心とした「滝桜保存会」が結成され、堆肥の施肥や周囲の草刈り作業を行っています。また、滝桜を通して地域の良さを知り、故郷を愛する心を育む活動として、地元の中郷小学校では全校生徒が「滝桜を守る会」の一員として、滝桜の種を拾って苗木に育てたり、開花期の観光案内や清掃活動を実施したりしています。