2020年05月号
「こだわり旅行」今昔物語
年に1回開催されている近畿ミロク会計人会・大阪地区会の「こだわり旅行」。これまで誌面にて幾度かレポートを掲載しましたが、今回はこの旅行が始まったそもそもの経緯、これまで9回の旅行内容を、大阪地区会の先生方にリレー形式でご紹介いただきます。
第1回新車両と城崎温泉を楽しむ
そもそもは、今から9年前の2011年春のある日、突然に始まりました。
今は退職された近畿会事務局のIさんが私の事務所に来られ、実は、大阪地区会で旅行をすることになったので、内容の相談をしたいとのことでした。何でまたと伺ったら、大阪地区会のある役員から、地区会の会長(つまり当時の私)が地区会行事のゴルフコンペに来ないのはどういうことかと聞かれ、会長はゴルフをしないので来ませんと答えると、それなら会長が参加できる行事を考えろと言われたそうです。それで、会長が参加する行事って何をすればいいのかと検討したところ、会長は鉄ちゃん(鉄道オタクのこと)なので、電車に乗る旅行をすれば来るのではないかということになり、鉄ちゃんが喜ぶ企画は鉄ちゃんに聞くのが一番だということで、今日、私の事務所に来られたそうでした。
ただ、参加していただくのは鉄ちゃんでない先生方なので、鉄ちゃんを喜ばせるという大義名分を持たせながら、中味的には皆さんに喜んでいただける企画をと考えたところ、ちょうどその年に城崎温泉へ行く福知山線回りの特急「こうのとり」と姫路回りの特急「はまかぜ」がいずれも新車に置き換わったところなので、それぞれに乗ることを鉄ちゃん向けの企画とし、参加された皆さんには城崎温泉で楽しんでいただくこととしました。
第1回目の「旅のしおり」の表紙を見ると、そのいきさつがよく表れています。ただし、城崎温泉は有名な温泉なので、既に行ったことのある方々も多く、それまでとは違う、何か「こだわり」のある旅行にして違いを付けてみたいと思いました。
城崎温泉は、今でこそ各旅館の中で温泉(すなわち内湯)に入ることができますが、昔は湯量が少なくて、旅館に泊まっても外湯へ入りに行くのが普通でした。そんな経緯から、今も城崎温泉には7軒の外湯が健在で、せっかくのことなので、浴衣姿で外湯を巡りながら、温泉街の風情を自由に楽しんでいただく時間を4時間設けました。
それから、MJSのユーザーなので、IT関係の研修をMJSに1時間お願いすることとし、講師には大阪人の激しいツッコミ質問にも耐性がある方をと考えて、やはり大阪出身である笹さんにお願いしたところ、快く引き受けていただきました。
このような経緯で始まった大阪地区会旅行ですが、何かこだわりのある旅行と、普段は聞けない研修に会員先生方のご理解を得て、その後毎年続いていくこととなりました。
第2回 中山道~寝覚の床
第1回の城崎温泉は、たっぷり温泉につかって体がほどよくふやけた後は、旅館の豪華な食事を満喫するというお気楽な旅行でした。
翌年の8月、当然今年もお気楽路線の旅行であると信じて疑わなかった私は、スカートにハイヒールという温泉旅行スタイルで出かけました。木曽・中山道の馬籠宿で昼食を取った後、中山道を歩いて妻籠まで移動すると知った時は、このまま帰れるものなら帰りたいとさえ思いました。女性税理士のT松E子先生もN井Y子先生もスカートにハイヒールで参加しています。声を大にして不満を訴えても、他に交通手段はなく歩くしかありません。
真夏の中山道をハイヒールで歩くのはまるで罰ゲームのようなもので、歩きにくいのはもちろん靴のかかとは傷だらけになります。文句を言いながら進んで行くと、今度は中山道の随所にクマよけの鈴が置いてあるではないですか。クマに遭遇してしまったら、ハイヒールを脱ぎ棄てて素足で走って逃げなければならないのかと思うと、怒りと恐怖がこみ上げてきて、地区会旅行は今回を最後にしようと固く心に誓いました。しかし、クマと遭遇することはなく、やっとの思いで妻籠の旅館に到着してまたびっくり! 部屋には浴室も洗面所もトイレもなく(エアコンだけはありました)、昭和時代の修学旅行生が泊まるような旅館が私たちを待っていてくれたのです。
この旅館で熟睡できたかどうかはもう記憶にないのですが、翌日は寝覚の床を目指して、アップダウンのある山道を傷だらけのハイヒールでまたせっせと歩きました。
この時、地区会旅行には二度と行くまいと決意したにも関わらず、翌年も懲りずに参加。その後も毎年参加して、気がつくと連続9回も参加していました。
ただし、3回目からは旅行のしおりに「歩きやすい靴でお越しください」という注意書きが添えられるようになりました(笑)。
第3回 筏で激流を下る
特急くろしお3号(グリーン席)で紀伊勝浦に到着する。貸切りバスで移動し、補陀洛山寺と浮島の森を観光する。
宿泊先の入鹿温泉の瀞流荘からトロッコ列車に乗って湯ノ口温泉へ。紀州鉱山トロッコ列車は約1㎞、所要時間10分の鉄道。紀州鉱山は奈良時代から続く古い鉱山で、1978年に閉山となったが、トロッコ列車は1987年に坑内観光用として復活した。温泉は地下1300mから湧き出す45・7℃の食塩温泉で、当時の坑夫達の入浴施設そのままを偲ばせる旧い佇まいであった。
翌日は北山村で筏下り。筏流しはこの村で600年以上も前から、木材を組んで上流から下流に運ぶ手段として栄えてきた。観光で筏下りができるのは全国でも北山村のみとなっているそうだ。杉の丸太8本で組まれ7連結した全長30mもの筏で、筏師の見事な櫂さばきのもと、豊かな自然に囲まれ激流に挑む筏下りはスリル満点で感動ものだった。
車中にて名物の高菜のおむすびをいただきながら、バスは帰路のJR白浜駅へと向かう。
第4回 しまなみ海道を歩いて渡る
のぞみ1号(ここにも拘りがある)にて福山で下車。瀬戸田パーキングエリアから多々羅大橋全長1480mを全員徒歩で横断する。海の上は日照りをまともに受け風もなく、これまで経験したことのない暑さである。この橋は広島県と愛媛県との県境に架かり、完成時では斜張橋として世界最長であったそうだ。鳥が羽を広げたような美しい橋である。
午後から内子町を見学、メインストリートは江戸時代から大正時代にかけて建てられた商家や民家が残る風情のある通りであった。
JR五郎駅から下灘駅に降り散策する。下灘駅は眼下の国道378号「夕やけこやけライン」が整備されるまで、日本で一番海に近い絶景を楽しめる駅だったそうで、数々の映画やドラマに登場したそうだ。
明朝は伊予鉄道「坊っちゃん列車」で道後温泉に。道後温泉本館で入浴し、神の湯2階でゆったり時を過ごす。
スーパージェット船で松山港から広島港に入港、そして路面電車の広島電鉄に乗車し、広島駅へと帰途につく。
第5回 夢の吊橋を渡る
ひかり460号で浜松着。こだま640号と在来線を乗り継ぎ金谷駅で下車し、大井川鐵道に乗る。大井川鐵道では1976年に日本で初めて蒸気機関車(SL)の動態保存(動作可能な状態で保存されていること)がされている。昼食はSLの名物弁当「汽車弁当」をSL車窓の景色を楽しみながらいただいた。
寸又峡に架かる吊り橋は全長90m。大間ダム湖は、エメラルドグリーンの美しい湖面をしていることから「夢の吊橋」と言われ、「世界の徒歩吊橋10選」に選ばれたそうだ。
宿は寸又峡温泉。単純硫黄泉で湯上がりの肌のつるつるすべすべした感じが特徴でその効用から「美女づくりの湯」として知られ、今回のメンバーにも随分効果があったようだ。
翌日は南アルプスあぷとラインに乗車。長嶋ダム湖に架かるレインボーブリッジに挟まれた奥大井湖上駅は、湖の上に浮かぶ駅として有名で、「日本の不思議な駅ベスト3」で第1位に選ばれている。接岨峡はV字型に切り立った断崖が約12㎞にわたって続く渓谷と吊り橋が魅力。
静岡で夕食にうなぎを食し、ひかり481号(グリーン車)で新大阪へ。
第6回 空飛ぶ会計人
JR特急サンダーバード9号で金沢に着く。北陸鉄道を乗り継ぎ鶴来駅下車。昼食を済ませ、いきなり今回のメインイベントのパラグライダーが始まる。
ここは獅子吼高原。相変わらずの炎天下の体力勝負だ。高度600mの山頂は太陽が近いだけ日射が強くほとんど無風状態で暑い。インストラクターが私の背につく。強い向かい風を待つ。合図で走り出す。数歩で後方のパラシュートが開きかける。強い力で後ろに引き戻される。とにかく10数m先のガケまで走らないと。足下からガケに落ちたと感じたすぐさま、上昇気流に乗る。地上にはない激しい風に全身が翻弄される。気持ちが落ち着いて下を見ると森も人家も周囲もまさに箱庭のようだ。地上の顛末な雑事から解放された気分に浸る。
当日の宿は「和田屋」。旧い旅籠屋のようだが、あなどるなかれミシュランの一つ星だ。
2日目は白川郷を見下ろして昼食。全員で記念写真、みんな日焼けして真っ黒だ。早めの夕食になまずを食す、意外とタンパクな味。ひかり521号(グリーン車)で帰路につく。
第7回 九州に避暑に行く
この旅行で初めての空路で大分を目指す。「よほど、我々の日頃の行いが良いのかな」。ゆっくりと北上して来る台風5号の影響で大分空港に出迎えに来たバスに乗るなり、いきなりの豪雨となる。ところが目的地の観光地に着くと不思議と晴天に恵まれる。
まず岩壁に刻まれた臼杵磨崖仏を観覧する。「マガイブツ」といっても、もちろん「まがい物」ではない。61体が国宝に指定されている。昼食はB級グルメといいながら、とり天が旨い。
午後からは稲積鍾乳洞に行く。内部は年中16度。ひんやりとして汗が一気に引く。3億年かけた水・石・風に形成された異次元の世界。マイナスイオンで身も心も癒される。
宿は長湯温泉「大丸旅館」という老舗。山の中で九州なのに信州にいるかのように涼しい。外湯のラムネ湯に入る。32℃でいつまでも浸かっていられる。体をこすると無数の炭酸のアワが楽しい。効能は「身も心も清められる」とあった。例年どおり宿の中も外にもスナックもカラオケもない。せせらぎの音を聞きながら、身も心も清められたまま就寝する。
2日目は別府温泉「望海」という旅館で露天風呂に入る。昼食に関サバと関アジが丸一本ずつお膳に並びその量、味とも大満足であった。
珍しく今回は往復空路で食事も宿も贅沢な大名旅行であった。
第8回 バンドネオンを聞きに盛岡に
仙台空港まで空路で、JR仙台駅から東北新幹線こまち9号で盛岡駅に到着。
まずは定番のわんこそばをいただく。メンバーの内、2名が大食いの認定を受けた。
世界遺産に認定された中尊寺と毛越寺を拝観する。毛越寺の庭園は水と緑で極楽浄土の世界を表現した、日本有数の浄土庭園という。
早めに宿に着き、夕食会場の「アンサンブル」へ。「アンサンブル」は、東北地方で唯一のバンドネオン・ヴァイオリン・ピアノのトリオの演奏が聞けるライブレストラン。バンドネオンの奏者は日本で10数人しかおらず、その最高齢者が森川 ?志氏という1936年生まれの方だ。失礼ながら聞けるのは今のうち、ということで他の旅行計画を中止してやって来た(ちなみに今もお元気でご活躍中です)。タンゴ・シャンソン・映画音楽を聞きながらドイツワインをいただき、優雅なひとときを過ごした。
翌日は宮沢賢治記念館を訪れた後、今回旅のもう一つのハイライト。C58 239を復元し、運行する「SL銀河」は宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」をテーマにしている。JR釜石線の通称「めがね橋」で1時間前からシャッターチャンスのために各自スタンバイ。さぞ良い写真が撮れたことでしょう。
昼食は遠野のふるさと村でジンギスカンをいただき、花巻温泉でリフレッシュして花巻空港から伊丹へと帰路につく。
第9回 青木ヶ原樹海へ行く
のぞみ214号で東京へ。JR新宿駅から富士急行の富士回遊93号で河口湖を目指す。
富士山パノラマロープウェイに乗り、天上山公園展望台より富士山と河口湖、遠くには南アルプスなどの大パノラマを楽しむ。そののち河口湖遊覧船に乗り、下船後、乗船前に見つけたお店で全員いろいろな種類のカキ氷を食する。おいしい。
富士レークホテルで毎度のことながら1時間研修を受ける。大浴場は富士山の地下1500mから湧き出る天然温泉。
明朝はいよいよ青木ヶ原樹海・洞窟探検。「昨日のツアーで一人帰って来なかったので探しに行きます」と言うガイドさんに付いて行く。一般観光客が足を踏み入れることのできない青木ヶ原の奥深く、観光用ではなく本物の火山洞窟に入る。45度の傾斜でロープを使う。中は真っ暗で一面氷の世界。滑って重軽傷者3名(全治3日間)が発生するも、メンバーの一人も欠けず、一人も増えることなく探検を終了する。
三島駅からひかり481号の車中でお弁当。行きも帰りも新幹線はインバウンドで満員だった。