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事務所 訪問

2022年03月号

小山敏税理士事務所 写真

モノづくりとITの知見を活用し
顧問先と新たなビジネスモデルをつくる

京都市伏見区で顧問先支援を展開している小山敏税理士事務所。精密機器メーカーで20年間キャリアを積んできた 所長の小山 敏先生は、その経験を強みとして、顧問先目線に立ったアドバイスに力を入れています。 早速、小山先生のこれまでの歩みや顧問先支援の内容について伺いました。

大手精密機器メーカーを経て税理士の道を歩むことに

小山先生は税理士になる前、長年にわたって精密機器メーカーに勤められていたそうですね。

小山 敏所長(以下、敬称略) 大手精密機器メーカーの大日本スクリーン製造(株)(現・(株)SCREENホールディングス)で20年間、ソフトウェア設計などに従事していました。

その後、どのような経緯で税理士資格を取得するに至ったのですか。

小山 私の父は税理士で、子どもの頃からその背中を見て育っていたので、高校生くらいまでは「いつかは自分も税理士になるかもしれない」という思いを抱いていました。しかし、大学・大学院時代、さらには会社員時代とITにドップリと浸かるにつれて、次第にその考えは薄れていったように思います。しかし、それでも将来のために税理士資格は取得しておこうと思い、在職中に試験勉強に励んで2004年に何とか試験に合格することができました。

そのタイミングで父上の事務所で働こうとは思われなかったのですか。

小山 実は税理士試験に合格する前の2001年に父が亡くなっており、事務所は父と親交のあった田島 博昭先生に引き継いでもらっていたのです。それに当時は仕事も充実していたので、あえて税理士になろうとは思いませんでした。

では、何がきっかけで税理士になったのでしょうか。

小山 青年税理士連盟が主催する税理士試験の合格祝賀会に参加し、小学校時代の友人と再会したのが大きなきっかけになりました。それからは時折、税理士の集まりに参加するようになったのですが、その都度、その友人が熱心に税理士業務のやりがいやおもしろさを伝えてくれたのです。そうこうしているうちに、少しずつ税理士という仕事にチャレンジしてみたいと思うようになり、2007年に先述した田島先生のもとで働かせてもらうことになりました。

先代の急逝を乗り越え事務所を承継

それからしばらく実務経験を積んだわけですね。

小山 そうです。しかし、ようやく見よう見まねで税務会計業務に慣れてきた2011年に、田島先生が急逝してしまったのです。本当にショックでしたし、税理士としての経験も浅かったので、ほとほと困り果ててしまいました。しかし、顧問先を不安にさせてはいけないので、急いで小山敏税理士事務所を立ち上げ、田島先生の後を継ぐことにしたのです。

急遽、事務所を承継することになったのですね。何かとご苦労が多かったかと思います。

小山 とにかく顧問先に安心いただけるよう、すぐに全ての顧問先のもとにご挨拶に伺いました。働き始めて4年が経っていましたが、まだお会いしたことがない経営者もいらっしゃったので、まずは私のことを知っていただき、今後のことを話し合いたいと思ったのです。

事務所を承継されてからどのようなことに力を入れましたか。

小山 ITに関する設備投資を進めました。例えば、当事務所ではもともとノートパソコンを使用していたのですが、それでは画面が小さくて作業効率があまり良くありません。そこで、全てのパソコンをデスクトップタイプに変えるとともに、デュアルモニターを採用しました。もちろん、ハードだけでなく、ソフト面の強化も必要なので、あらためてMJSのシステムを研究し、積極的に取り入れていきました。もっとも、レシート取込機能などまだまだ使いこなせていない機能も多いので、順次、当事務所の業務に取り入れやすい方法を模索し、職員に共有していきたいと考えています。

伏見桃山の顧問先と共に固定観念を覆したい

小山先生は生まれも育ちも事務所がある伏見桃山だそうですね。

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歴史ある地、伏見桃山にオフィスを構えています

小山 伏見桃山は豊臣秀吉が晩年に伏見城を築城した城下町であり、日本最大酒処としても知られています(その他の酒処は兵庫県の灘と広島県の西条)。そのため、現在も城下町の風情が残っていますし、月桂冠(株)や黄桜(株)をはじめとした蔵元が軒を連ねており、昔ながらの酒蔵も至るところにあります。また、幕末の動乱の舞台になった地でもあり、坂本龍馬が伏見奉行所の役人に襲撃された旅館「寺田屋」などもあります。

京都市内に勝るとも劣らないほどの歴史と地域資源を有しているのですね。そういった地域でどのような顧問先を抱えているのですか。

小山 顧問先の所在は京都府全域に及ぶのですが、業種の傾向でいうと建設業や製造業の比率が高いように思います。

もともと小山先生ご自身が製造業で勤められていたことが大きなアドバンテージになりそうですね。

小山 製造業が陥りがちな問題を、実感を持って理解できるのが大きな強みになっています。おかげで、比較的スムーズに顧問先の皆さんから信頼を得ることができたように思います。

顧問先からは最近、どのような相談が寄せられていますか。

小山 やはり事業承継に関する相談が増加傾向にあります。経営者の年齢を考慮すると、これから10年くらいは増え続けていくと思われます。

建設業、製造業ともに新規創業が減少傾向にある業界かと思いますが、そのあたりはいかがでしょうか。

小山 確かにそうですが、今も創業からわずかな間に黒字化を果たしている企業は存在します。お菓子やシャンプーの袋の製造を手掛けている顧問先もその一つです。同社は創業当初は賃貸の工場でモノづくりをしていたのですが、10年もたたないうちに自社工場を設立するに至りました。SDGsが叫ばれる中、シャンプーやハンドソープなどの詰め替えパックのシェアを着実に取ることに成功しているので、これからも成長を遂げていくと思います。

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発想の転換や事業モデルの再構築など
顧問先のイノベーションを支援する小山 敏先生

時流にうまく乗ることができれば、中小製造業にもまだまだビジネスチャンスはあるわけですね。

小山 そう思います。ただ、それには固定観念を覆すような柔軟性のある発想が重要になります。先述した袋のお客様に関してもSDGsや詰め替え用パックという点に着目したからこそ新たな販路が切り拓けたのであって、そういった発想の転換がなければ、売上を伸ばすことはできなかったはずです。だからこそ、私も税理士として顧問先に寄り添い、一緒に今の時代にマッチした事業計画を練り上げていきたいと考えています。

これまでにそういったアドバイスが奏功したケースはありますか。

小山 例えば、ある製造業ではエンジニアが自ら営業を行うことを会社の強みとしていたのですが、これに疑問を呈したことがあります。エンジニアが営業を兼務することで、スピーディーに顧客のニーズを把握したり、決裁を取ったりすることができるのは間違いないのですが、その反面、エンジニアが忙しいときに営業活動ができないため、仕事の繁閑の波が大きくなっていました。また、見積もり金額に直接費は反映されているものの、間接費や利益が反映されていないケースが散見されました。そこで、製販分離と原価計算の徹底を経営者に進言し、思い切ってカジを切っていただいたところ、利益率が上昇し、業績のV字回復に大いに貢献することができました。

コロナ禍にあって、顧問先の動向に変化はありましたか。

小山 政府系の融資や給付金のおかげで、ほとんどの顧問先が何とか事業を存続させることができています。ただ、観光に関連する業種は軒並み窮地に陥っています。例えば、京都のタクシー会社は国内外の観光客が減少したため、売上が激減してしまっています。観光客が戻らない限り、状況が好転する見込みがないので、今はひたすら耐え忍ぶしかない状況です。

今後の展望についてお聞かせください。

小山 今後はICT(情報通信技術)をさらに活用し、事務所と顧問先のDX(デジタルトランスフォーメーション)を推進していきたいと思います。そうすることで、税務会計業務の効率化を図るとともに、試算表のスピーディーな提供や管理会計の実践に努め、顧問先の未来にさらに貢献していきたいと考えています。

本日はありがとうございました。ますますのご発展をお祈りいたします。

税理士までのあゆみ

父上が税理士だったこともあり、子どもの頃は税理士になることも想定していたという小山先生。ですが、次第にITの勉強に没頭し、情報工学の修士課程を修了するまでに。その後は大手精密機器メーカーで20年間、ソフトウェア設計などを担当しましたが、驚くことにその間に税理士試験の勉強にも励み、在職中の41歳の時に試験を突破したそうです。 それからしばらく会社勤めを続けた小山先生ですが、2007年から父上と親交があり、父上の事務所を引き継いでいた田島先生のもとで勤務を開始。その後、2010年に税理士登録を果たし、田島先生が急逝した2011年に事務所を引き継ぐ形で小山敏税理士事務所を開業しました。

小山敏税理士事務所

所在地
京都市伏見区下鳥羽六反長町115番地
TEL
075-611-0165
設立
2011年
職員数
6名
URL
https://koyama-cpta.tkcnf.com/

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