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事務所 訪問

2022年11月号

国吉大陸公認会計士・ 税理士事務所 写真

持ち前のスポーツマンシップを強みに
「親身」「スピード」「提案」を重視した経営を実践!!

沖縄県西原町に事務所を構える国吉 大陸所長は、東京の大手監査法人で勤務した後、 2021年に2代目所長として父上の事務所(沖縄県西原町)を承継。現在は「親身」「スピード」「提案」を軸に、 主に医療業と建設業の顧問先を中心としたサービスを展開中です。さっそく、そのお仕事ぶりを拝見させていただきました。

甲子園のスター選手が公認会計士・税理士に

国吉先生は興南高校時代、沖縄県勢初の夏の甲子園(全国高等学校野球選手権大会)優勝という快挙を成し遂げていますが、プロ野球の道に進もうという考えはなかったのですか。

国吉 大陸所長(以下、敬称略) 甲子園で早い段階からトップ選手たちと渡り合ってきたこともあって、野球の世界ではプロになることは難しいと感じていました。そこで、高校2年生くらいの時から卒業後の進路を本気で考えるようになり、脳裏に浮かんだのが税理士という仕事だったのです。もともと父が税理士だったこともあり、税理士という仕事が身近な存在だったんですね。それに私の送り迎えの最中に顧問先と電話でやりとりをしたり、休日などにも親身になって顧問先の対応をしている父の姿に、どこか憧れのようなものを感じていたのです。ただ、せっかくチャレンジするのであれば、父と少し違う道を歩んでみたいと思い、公認会計士を志望することにしました。

その後、明治大学商学部に進学し、在学中に公認会計士試験に合格したそうですね。

国吉 大学や専門学校の手厚いサポートのおかげで3年生の時に試験に合格することができ、4年生の途中からEY新日本有限責任監査法人(東京都千代田区)で勤務し始めました。

EYでの勤務はどうでしたか。

国吉 周囲の人たちがとても優秀で、少なからず劣等感を覚えることがありました。それまではスポーツでも勉強でも努力した分だけ報われる感覚があったのですが、それ以上の努力が必要だということを肌で感じたのです。また、顧問先が日本を代表する大手企業だったこともあり、先方の担当者に食らいつくのにも苦労しました。おかげで「資格を持っているだけで安心してはいけない」「資格を取ってからも日々、精進することが大事だ」という思いを強くすることができましたね。

沖縄に戻ろうと思ったきっかけについて教えてください。

国吉 EYに在籍していた頃に父が大病を患い、2カ月間の入院を余儀なくされたのが契機になりました。それまではしばらく東京で経験を積もうと考えていたのですが、早めに父の事務所を承継する準備に入らなければと思うようになったのです。

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写真左上に所長席を設け、フラットな雰囲気の
オフィスです

その準備段階として、東京の税理士法人で勤務経験を積んだのですね。

国吉 明治大学に在籍していた頃からお世話になっていた税理士法人・社会保険労務士法人タックス・アイズの五十嵐 明彦先生のお言葉に甘え、2年半ほど勤務しながら税務会計の実務を勉強させていただきました。監査法人では顧問先が作成した財務諸表に誤りがないかをチェックするのが主な業務でしたが、税理士法人では顧問先と一丸となって決算書を作成していかなければなりません。そのため、当然ながら1円たりとも記載漏れや記載ミスがないようにしなければならないのですが、当時の私はそのあたりの認識が甘く、固定資産税の台帳を作成する際に先輩にきつく叱咤されたことがありました。「これが税務会計の世界なんだ」と思い知らされましたし、その時の気づきは今もしっかりと胸に刻まれています。ちなみに、監査業務と税務会計業務のどちらが好きかといえば、今は断然、税務会計の方が好きですね。経営者と同じ目線でいられることに楽しさや喜びを感じられますから。

沖縄に戻って事務所のDXを推進

沖縄にはいつ頃、戻られたのですか。

国吉 2020年1月に戻り、その翌年に事業承継をしました(現在、父上の浩隆先生は会長)。当事務所の顧問先は医療業や建設業が大半を占めているのですが、建設業に関しては資金繰りに苦労しているところが多く、東京にいた頃に比べて、経営面での相談に乗るケースがかなり増えました。しかも、沖縄に戻ってすぐにコロナ禍が発生し、顧問先と思うようにコミュニケーションが取れない時期が続いたのは苦しかったですね。子どもの頃から知っている経営者も多いので、基本的なコミュニケーションに関しては問題なかったのですが、込み入った話を対面で思うようにできない状況にはやきもきしました。

コロナ禍にあって注力したことはありますか。

国吉 業務効率を高める必要性を感じていたこともあり、事務所内のDX(デジタルトランスフォーメーション)に力を入れました。例えば月次決算一つとっても、もともとは締め日の翌月までに仕上げるルーティンになっていたのが、2カ月後にずれ込んだりしていたので、そのあたりを改善するためにITを活用しようと考えたのです。もっとも、慣れない作業が加わることもあって、当初は後ろ向きな意見や反応もありましたが、職員とのコミュニケーションを重視し、自分の気持ちをできるだけ丁寧に伝えることで、最終的には納得感を持って取り組んでもらえるようになりました。おかげで、ペーパーレス化も一気に進みましたし、日報やスケジュール管理などもMJSの事務所管理システムを活用してスムーズに連携できるようになり、業務を全体的にスピーディーにこなせるようになっていきました。ちなみに、新しいシステムやツールの導入に関しては、ITに詳しい職員がいるので、今も彼と相談しながら逐次、進めています。

自計化についてはどうでしたか。

国吉 幸いにして父がMJSと連携しながら早い段階から推進してくれていたので、それをベースに今も対応してくれる顧問先を増やし続けています。

窮地に立たされた顧問先を親身になってサポート

国吉先生は(一社)日本医療経営実践協会の医療経営士3級という資格も取得されていますね。

国吉 医師の皆さんとコミュニケーションを取る上で、何度も自身の知識不足を思い知らされることがあったので、ある程度の知識は身につけておく必要があると感じ、この資格を取得しました。結果、医療業に関する専門用語の他、医療経営に役立つ知識を習得することができたので、医師の皆さんとのコミュニケーションに大いに役立っています。

職員の皆さんも医療業や建設業には詳しいのでしょうか。

国吉 医療業と建設業は父が開拓してくれた分野なので、父はもちろん、父の代からの職員の皆さんも豊富な知識を持っています。特に勤続20年以上を誇る2人の職員は顧問先やその業務内容を熟知している頼もしい存在です。

ウクライナ危機に端を発した物価高がさまざまな業種に影響を与えていますが、特に燃料代や資材代の比重が高い建設業は厳しい状況にあるのではないでしょうか。

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野球への情熱を税務会計の仕事、そして顧問先に昇華して
奮闘される国吉 大陸先生

国吉 2010年くらいからしばらくは建設ラッシュが続き、建設業は順調に売上を伸ばしていたのですが、コロナ禍、そして物価高の影響でご指摘の通り、苦境に立たされているのが現状です。当事務所は父が与那国島生まれの石垣島育ちで、離島をこよなく愛していることもあって、宮古島や久米島、伊是名島などにも多くの顧問先がいるのですが、そういった島々では沖縄本島以上に燃料や資材にかかるコストが高騰しており、必然的に利益が圧迫されています。そこで、当事務所ではそういった顧問先をサポートするために、原価計算の見直しなどを通して、今の時代にマッチした売上単価をシミュレーションするなどしています。こういった外部環境の変化に対応するには値上げしかないので、引き続きその正当性を示すための資料を作成するなどして顧問先を下支えできればと思っています。

医療業についてはどうでしょうか。

国吉 全体的にコロナ禍で受け入れられる患者の母数が減少し、厳しい状況にあるのですが、積極的に新型コロナウイルスの治療に取り組んでいる医院については経営が好転しつつあります。

今後、どのような事務所にしていきたいとお考えですか。

国吉 当事務所は父の代から顧問先に親身に接することを重んじてきましたし、私もそんな父の背中に憧れを感じてきました。だから、これからも常に顧問先に親身に接しながら、スピード感と提案力のある事務所を目指していきたいと考えています。また顧問先に関しては、業種の幅を広げながら月次の契約件数を200件くらいにまで増やしたいですね。そして、より柔軟に顧問先のニーズに対応できるよう、M&Aや事業承継といった領域にも着手していきたいと思っています。

本日はありがとうございました。ますますのご発展をお祈りいたします。

税理士・会計士までのあゆみ

子どもの頃はプロ野球選手を目指していたという国吉先生。幼少期から野球に没頭し、高校時代(興南高校)には高校2年春、2年夏、3年春、3年夏と4季連続で甲子園大会に出場、しかも3年時(2010年)には春夏連覇という快挙を成し遂げました。 ところが、高校卒業後はプロ野球の道を目指さず、一転して父の背中を追い、会計の世界を目指すことに。明治大学に進学し、入学当初から専門学校に通い、猛勉強に励んだそうです。「指定校推薦での入学でしたし、野球に没頭していた分、勉強に後れを取っているという意識があったので、とにかく必死でした。野球への情熱を一気に勉強に切り替えたような感じもあったのかもしれません」と国吉先生は振り返ります。そして、その努力は見事に結実し、大学3年生の時に公認会計士試験に合格、4年生の時からEY新日本有限責任監査法人での勤務を始めたそうです。そして、その後は税理士法人での勤務を経て、2020年に父上の事務所に入所しました。

国吉大陸公認会計士・ 税理士事務所

所在地
沖縄県中頭郡西原町千原253-12
TEL
098-944-2650
設立
2021年(創業:1992年)
職員数
9名
URL
https://www.tax-hirotaka.com

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