地元密着とお客様目線を徹底
相続税対応も新たな強みに
北海道東部に位置する北見市で、長年にわたって地元事業者の支援を続けてきた 服部邦彦税理士事務所。2023年7月には服部 邦彦先生のご子息である淳生(じゅんき)先生も加わり、 相続案件を手掛けられる体制へと進展しました。親子二人三脚の事務所のこれまでと 今後の展望を伺いました。
異業種から税理士業界へ地域密着で事業者を支える
服部先生のこれまでの経緯を教えてください。
服部 邦彦所長(以下、邦彦先生) この業界に入る前は理系畑の道を歩んできました。大学も理工系へ進み、卒業後は施工・建設関連企業の技術者として働いていました。今の妻と結婚した時に、会社を退職して妻の父が営む会計事務所へ入所しました。
異業種からこの世界に飛び込まれたのですね。
邦彦先生 実は学生時代から士業への憧れを抱いておりました。妻と出会うまでは税理士という職業について意識してこなかったのですが、これも何かの縁と思い、義父の会計事務所への入所を決心しました。一からのスタートではあったものの、実際に簿記の勉強を始めてみると、曖昧さがない簿記という学問が自分の性に合っていると感じました。10年がかりで税理士資格を取得し、その後、2003年には義父とともに事務所の法人化を果たしました。ですが、08年に義父が急逝し、私の個人事務所へと体制を変え、全業務を引き継ぎました。
実務経験を重ねられていたとはいえ、突然のことで引き継ぎは大変だったのではないでしょうか。
邦彦先生 その頃には既に全ての業務全般に携わっていたので、幸い顧問先にご負担をおかけすることはありませんでしたが、経営面で慣れないことが多く苦労しましたね。今までの経験も活かしつつ、基本的には義父の事務所運営のあり方を踏襲することに徹しました。
顧問先にはどのような事業者がいらっしゃいますか。
邦彦先生 市内の事業者がほとんどで、特に、宅地建設関係の部品製造業者や公共工事に関連したインフラ系、農業設備の関連製品の製造などを手掛ける事業者、その他建設関係事業者が多くを占めています。ある製造業関係の企業様はお会いした当初、個人事業主でしたが、地域特性に合った製品を提案してきたことで、堅実に業績を伸ばしてこられました。今では地元でも有数の優良企業となっております。
牛舎を中心に酪農関係の建物や各種設備関連製品の製造を手掛けており、この寒冷地域ならではの設備上の課題を顧客から吸い上げ、その解決に資する製品開発や研究に取り組んだことが、着実な成長につながったのだと思います。
私も税理士として毎年の決算期の税務支援はもちろん、新しい設備の導入など投資が必要な時期にはいろいろと税務・経営面でのアドバイスをさせていただきました。会社規模としては自計化を進めてもいい状況ですが、長年の信用というのでしょうか、現在も経理全般を私どもに任せていただいております。
貴事務所では何が業務のメインとなるでしょうか。また、業務量のバランスはいかがでしょうか。
邦彦先生 記帳代行や税務相談などももちろんありますが、当事務所では決算業務が特に多いです。また、当事務所では税務相談や顧問先訪問など、税務支援に細かく費用を設定しておりません。お客様が気軽にご相談に来られるよう、事務所環境を整えています。また、業務量もバランスが取れており、昨年に息子の淳生が入所してくれたおかげで、過不足なく業務を回せるようになっています。彼のおかげで今まで手をこまねいていた相続関係の業務にも力を入れられるようになりましたね。
さまざまな経験を経て地元へ相続対応の強みを活かす
淳生先生は2023年7月に事務所に加わられたそうですね。お父様の事務所を引き継ぐことを考えて戻られたのでしょうか。
服部 淳生次長(以下、淳生先生) 横浜市の大学に進学した後、20歳くらいの時に父に「後を継ぎたい」と伝えました。その頃から専門学校にも通い、大学卒業後は資格取得に向けて勉強を続けつつ、東京都内の税理士法人と横浜市にある事務所の2つの職場で実務を経験しました。9年間にわたって実務経験を積みましたが、その間に税理士資格も取得でき、昨年夏から当事務所に入所しました。
東京、横浜ではどのような業務を経験されたのでしょうか。
淳生先生 東京の事務所では税務支援の他、経営コンサルティングサービスを顧問先に提供する方針を掲げていました。横浜では東京に本拠地を置き、相続税・資産税関連業務に特化して全国展開している税理士法人の横浜事務所に勤務し、ここで約100件の相続案件に携わりました。そのおかげか、北見市内の会計事務所の間でも「相続に強い税理士がいる」と好評をいただいており、他の事務所を経由して当事務所にご相談に来られるお客様が増えています。この1年で10件以上の相続案件、相続に関する税務相談をご依頼いただくことができました。
邦彦先生 実をいうと、息子が帰って来るまで、当事務所では積極的に相続案件を手掛けることはほとんどありませんでした。顧問先の事業承継や相続については対応していましたが、飛び込みで来られた相続相談に関しては、ノウハウが乏しく、お断りしていたのです。
淳生先生 もともと北見市内には相続税・資産税を専門に扱う会計事務所がなかったそうで、そうした飛び込みの案件は税理士に断られてしまうことも多かったと聞いています。もし地元の税理士を頼れないとなると、全国展開している大手の相続税専門の税理士法人などに依頼するしかありませんが、その場合は遠隔でのやり取りが多くなってしまうはずです。相続案件は込み入った話になることも多く、お客様視点で見てもZoomなどのやりとりのみでは不安でしょうし、資料もその都度郵送することになり手間が増えます。そして何より、大手だと報酬も高額になってしまいがちです。飛び込みでご相談に来られる方の多くは、親が亡くなるなどして相続人になって初めて税理士とやりとりをされることだと思います。私としてはそういった点を踏まえ、お客様への配慮を忘れず、相続税の主旨や申告の意味、必要な手続き、計算の仕方などを丁寧に説明し、お客様に負担をかけないようサポートすることを心掛けています。
父子二人三脚今後の展望
最後に今後の展望について、お聞かせください。
邦彦先生 息子が手掛ける相続案件が増加傾向にあるので、これまでの業務との両立も考慮し、どこかのタイミングで職員の増強も図らねばと考えています。また、事業承継を見据えて息子に各種業務の引き継ぎも進めています。そして何より、お客様に選んでいただける会計事務所であり続けたいと考えています。加えて、会計事務所のDX(デジタルトランスフォーメーション)も必須です。私自身はITツールやシステムに疎い部分もあるので、息子の助けを借りながらDXを進めていきたいと考えています。
淳生先生 以前の職場での経験を活かし、北見市内で顧問先向けに経営コンサルティングなども手掛けられればと考えています。地元での人的ネットワークも広げて市内の事業者や住民の方たちの役に立つ税理士になっていければ幸いです。また、先ほど父が言っていたように、クラウド会計などのITツールとともに、AI(人工知能)仕訳のようなツールも活用できる会計事務所となれるようDXを進め、顧問先のDXのサポートも進めたいと考えています。
新たな強みを得た服部邦彦税理士事務所様の今後の活躍をお祈り申し上げます。
History & Story税理士までのあゆみ
服部 邦彦先生
北見市で生まれ育った邦彦先生は、学生時代から根っからの理系男子でした。大学も理工学部へ進み、大学卒業後は施工・建設関係の会社で長らく技術者として働きました。ですが、学生の頃から抱いてきた士業へのあこがれは民間企業で働いていた頃もずっとあり、「組織に属さず、自分の力で稼ぎたい」という思いを募らせていました。そんな折、30歳の年に結婚し、奇遇にも義父の会計事務所で働くことになりました。その後は税理士資格の取得に向けて、日中に会計事務所で働き、夜間に専門学校へ通う生活を送られ、そして10年後に資格を取得したといいます。約5年後にお義父様が急逝してしまい、以後は邦彦先生が事務所の代表として顧問先支援と事務所経営に奮闘し、今に至ります。
服部 淳生先生
父の邦彦先生からは一度も「後を継いでほしい」とは言われず、将来展望について明確に意思表示をすることはなかった淳生先生ですが、物心ついた頃からお祖父様とお父様の働く姿を眺めてきたことで、税理士になる将来を意識していたといいます。幼い頃から祖父と父が一緒に働く会計事務所は、馴染み深い「生活の一部」で、何より父が資格取得に向けて一生懸命に勉強する姿や税理士として働く様子が好きだったと語ります。大学卒業後は東京都の税理士法人で5年半、横浜市の税理士法人で3年半、計9年間働きました。昨年7月に服部邦彦税理士事務所へ入所。横浜の事務所時代に積み重ねた相続対応の知見やノウハウを武器に新規顧客開拓を図っています。
服部邦彦税理士事務所
- 所在地/
- 北海道北見市美芳町9-6
- TEL/
- 0157-24-8052
- 設立/
- 2008年
- 職員数/
- 5名
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北見市の逸品グルメと
〝カーリングのまち〟の拠点
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北見市端野町を代表するグルメといえば、尾谷商店のジンギスカンです。同社が端野町でジンギスカン用に味付けした羊肉の販売を始めたのは40年以上前のこと。同社が開発した特製ダレに漬けた羊肉を販売したところ、地元で大人気に。
秘伝のタレは尾谷 奈緒子代表の父が生み出したもので、りんご、オレンジ、にんにく、玉ねぎ、生ショウガなど全19種類をじっくり鍋で煮込んで作っています。「素材を変えると味のバランスが崩れるので、40年以上前から同じ材料で同じ作り方を継承している」と尾谷さん。今も週に2回、尾谷さんと勤続30年以上のベテラン職員らがタレの仕込みを行い、ラム肉の他にも豚肉や鶏肉を漬け、手作業でパッケージし、冷凍して販売しています。
2022年に日本で初めて開催された「味付けジンギスカン グランプリ」では、看板商品の「特撰尾谷のらむじん」がジンギスカン応援隊賞を受賞。同社のオンラインショップで購入できますので、ぜひ一度ご賞味ください。
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北見市常呂町(ところちょう)は、日本のカーリングの聖地として知られています。1980年代、カーリングという競技が国内でまだそれほど知られていない時代、常呂町にカーリングを広めたのが町で酒店を営んでいた小栗 祐治さん。「冬の閑散期の町を新たなスポーツで盛り上げよう」とカーリングの普及に尽力しました。その甲斐あって、87年にカーリングが初めて国体競技種目となった翌年、常呂町に国内初のカーリング用屋内リンクが完成しました。以後、町の小学校では授業にカーリングが取り入れられ、中学校、高校でも盛んに行われるように。その結果、98年の長野五輪でカーリングが正式種目になった際には、日本代表の10人中、5人が常呂町の出身者という快挙を成し遂げました。
カーリング選手たちの躍進は続き、2018年に平昌五輪で銅メダル、22年には北京五輪で銀メダルを獲得した女子カーリングチーム「ロコ・ソラーレ」の活躍は皆さんも記憶に新しいことでしょう。北見市は「カーリングのまち」として日本中、世界中に知られることになりました。
20年に誕生した「アルゴグラフィックス北見カーリングホール」は市内で2カ所目となる通年型のカーリングホール。一般客の利用に加えて、ロコ・ソラーレをはじめとする国内トップチームの練習や各種カーリング大会、学校授業、社会人の研修事業、観光体験など幅広く活用されています。また、北見工業大学と連携した冬季スポーツ科学研究も行われ、カーリングのまちは新たな進化を遂げています。