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東北会企画②

2018年07月号

400年の歴史を誇る
「南部鉄器」

 みちのくの特産品として知られる岩手県の「南部鉄器」。その歴史は古く、17世紀には既に製造が始まっていたとされます。現在、代表的な鉄瓶の他に、フライパンや花瓶、鍋、急須、風鈴など、さまざまなアイテムが製造され、海外輸出でも人気を集めています。南部鉄器の歴史と魅力について、南部鉄器協同組合の松浦 清富氏に伺いました。

盛岡市と奥州市が二大産地鋳造技法を駆使した「鋳物」

岩手県が世界に誇る「南部鉄器」は、17世紀の中頃に製造が始まったと言われています。当時の南部藩主が京都から職人を呼び寄せ、領内で豊富に採れる木炭や砂鉄を使って釜を作らせたという記録が残されています。

宝暦年間(1751~1764年)になると、武士や文人の間で茶道が流行し、3代目・小泉仁左衛門が茶釜を少し小さくして、ツル(取っ手)と注ぎ口を付けることを考案。これが、南部鉄器の代名詞とも言える「鉄瓶」のルーツとされます。その後、鉄瓶は茶釜や土瓶にとって代わり、次第に湯沸かしの日用品として広く使われるようになりました。戦中には一時製造禁止になるなど、継承が危ぶまれた時期もありましたが、どうにかそういった危機を乗り越え、伝統的な技法を現在まで脈々と受け継いでいます。

南部鉄器は鋳造技法を駆使した、いわゆる「鋳物」です。高温で溶かした鉄を鋳型に流し込んで成型し、最後に研磨・着色して完成させます。こう言うと簡単に聞こえるかも知れませんが、実は70~80工程があり、そのほとんどが手作業です。一人前になるためには「15年」と言われ、作品に自分の名前を付けられる釜師になるには「30~40年」はかかります。

現在、盛岡市には17社、奥州市には55社があり、職人たちが日々工夫を重ねながら、鉄瓶の他、カラーバリエーションが豊かな急須、鍋敷、風鈴など、さまざまな商品を製造しています。

水がおいしくなり貧血予防も期待できる

南部鉄器の海外輸出は、約20年前から本格的に始まりました。ある大手メーカーがフランスの紅茶専門店に急須を輸出したことから徐々に人気が広がり、今ではヨーロッパをはじめ、アメリカ、シンガポール、中国、台湾などに輸出されています。

中国と言えば、南部鉄器も「爆買いブーム」の恩恵に預かりました。ピークの3~4年前には、国内の百貨店から南部鉄器が消え、バイヤーがわざわざここ盛岡まで買い付けに来るという人気ぶり。1個5万円の鉄瓶が、中国に持って帰ると15万円ほどで売れたそうで、大量予約まで取り付ける人もいました。近年はブームも落ち着きましたが、いまだ生産が追いついていない企業もあるようです。

南部鉄器の魅力はさまざまですが、特に「水がおいしくなる」「貧血が予防できる」という点が私は優れていると思います。鉄瓶で水道水を沸かすとカルキが除去され、代わりに、体に吸収されやすい鉄分の「二価鉄」が溶け出すのです。南部鉄瓶を使い続けて、「肌荒れが治った」という方もいます。

南部鉄器は、正しく手入れをすれば、30?40年は持ちます。ぜひ皆さんも毎日、使ってみてください。一層お茶がおいしく感じられますよ。

(左)最近では、カラフルなデザイ ンの製品も登場。(写真提供:盛岡 観光コンベンション協会 )

(左)最近では、カラフルなデザイ ンの製品も登場。(写真提供:盛岡 観光コンベンション協会 )

(下)昭和50年には伝統的工芸品として全国第1号の指定を受けている南部鉄器

(下)昭和50年には伝統的工芸品として全国第1号の指定を受けている南部鉄器

1400~1500℃に溶かした鉄を鋳型に流し込む「鋳込み」。(写真提供:株式会社岩鋳)

1400~1500℃に溶かした鉄を鋳型に流し込む「鋳込み」。(写真提供:株式会社岩鋳)

真鍮の棒で鋳型に一つひとつ文様を刻む「文様捺し」。南部鉄器独特の「アラレ模様」はこの作業によってつくられる

真鍮の棒で鋳型に一つひとつ文様を刻む「文様捺し」。南部鉄器独特の「アラレ模様」はこの作業によってつくられる

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