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事務所 訪問

2023年03月号

福井健太税理士事務所 写真

岐阜の地で3代にわたって
顧問先に寄り添った経営支援に邁進

2023年に入って早々に事業承継の手続きを完了させた福井健太税理士事務所。1967年の開業以来、3代にわたって岐阜市の 顧問先を支援し続けてきた老舗事務所です。さっそく、事務所を承継したばかりの福井 健太先生とその父上で、長年にわたって 2代目所長を務めてきた福井 真一先生、そして税理士の塚下 順司先生に同事務所の歴史や昨今の取り組みについて伺いました。

スピード感を大切にしながら経営支援に最善を尽くす

事務所を開業したのは真一先生の父上だそうですね。

福井 真一先生(以下、真一先生) 当事務所を立ち上げた父、福井 一郎は1964年、42歳の時に税理士試験に合格しました。父はもともと住友信託銀行名古屋支店(当時)で勤務していましたが、地元・岐阜市に戻ってからは証券会社を設立するなど起業家精神も旺盛だったように思います。その後、「経営者を支援したい」という一心で税理士試験に取り組んだのですが、父が早朝から勉強に打ち込んでいる姿は今も私の脳裏に焼き付いています。 その印象が強かったおかげか、私も大学時代の途中から公認会計士を目指すようになり、何とか在学中に2次試験を突破。その後、名古屋の監査法人丸の内会計事務所(現・監査法人トーマツ)に入所し、充実した日々を送っていました。しかし、年次を重ねる中で所内に優秀な人材が大勢いて出世が困難であること、そして父の事務所の動向などが気がかりになり、1982年から父のもとで働き始めました。

大手監査法人からの転身ということで、ギャップを感じることもあったかと思います。

真一先生 監査法人時代は主に経理部長などと実務的な話を重ねていましたが、会計事務所は経営者とのやりとりが中心になってきますし、税務会計だけでなく、経営全般に関する相談に対応しなければなりません。そうした中、私が意識してきたのは「税務署のためではなく、経営の役に立つ決算を心がけること」です。そのため、当事務所では正確性だけでなく、月次決算のデータを提供するスピードにこだわり続けてきました。顧問先にいち早く情報を提示し、それを経営に活用してもらうことを重んじてきたのです。

そういった経営方針は一郎先生の時代からあったのですか。

真一先生 そうですね。父は常に「経営支援」を意識していましたし、私自身、その姿勢から多くを学んできました。そして、当事務所ではその思いを体現すべく、①お客様の税務申告は必ず申告是認となるよう全力をつくすべし②お客様企業の発展と利益向上のために最善をつくすべし③事務所の経営目標と職員個人の生きがいとは常に一致すべし④自利とは利他をいう⑤攻撃には進歩があり防禦には後退があるという父が設けた経営理念を、そのまま引き継いでいます。

持続可能性の向上を目指し事業承継を早期に実現

健太先生も真一先生と同じく監査法人トーマツで勤務されたそうですね。

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整理整頓がなされ作業効率の良いオフィスです

福井 健太所長(以下、健太先生) 私が勤めていたのは監査業界的に著しく仕事が多忙な時期で、毎日がとても忙しく、社内も緊張感に満ちていました。監査対象の企業にお邪魔し、昼夜を問わず、監査業務に励んだりすることもしばしばありましたね。

2015年、32歳の時に岐阜に戻られたそうですが、税理士業務に携わり始めた時の感触はどうでしたか。

健太先生 自分から能動的に、そして企業のために動けるのが刺激的でした。監査も重要な業務であることに違いはないのですが、どうしても経営陣とは一定の距離を置かざるを得ません。その点、経営者に寄り添いながら、一緒になって課題解決に臨める税理士の仕事には、これまでにない面白さを感じられたのです。

とはいえ、当初はご苦労も多かったかと思います。

健太先生 もちろん、最初の頃は税務会計の実務に不慣れだったので、父のアドバイスはもちろん、当事務所に長年貢献してくださっている塚下 順司先生のフォローの下で業務に取り組みました。

塚下 順司先生(以下、塚下先生) 私は大学を卒業してからずっとこちらの事務所でお世話になっていることもあり、健太先生が戻られた頃には既にあらかたの業務を把握していました。それにしても、若くしてさまざまな経験を積んできた健太先生の入所は非常に心強かったですね。

2023年に入って早々に事業承継の手続きを終えられたそうですが、いつ頃から事業承継を意識し始めたのですか。

真一先生 私はもともとできるだけ早く事業承継を済ませたいという思いを持っていました。息子が40歳になる前にバトンを渡すことで、事務所の持続可能性を向上させたいと考えていたのです。50歳になってからだと精力的に活動できる期間が短すぎるし、かといって30歳くらいだと早すぎる。であれば、息子が40歳になる前の今こそ絶好のタイミングだと感じたのです。

真一先生はどのような立ち位置で事務所経営に携わっていかれるのですか。

真一先生 一歩引いた立場からフォローし続けたいと思っています。引退したのに権限を持ち、現役世代に事細かく指示を出す人もいますが、それでは代替わりの意味がないし、後継者も若い感性を発揮できなくなってしまいますからね。

ところで、岐阜といえばかつては繊維業で栄えたイメージがありますが、現在はどうなっているのでしょうか。

真一先生 繊維業が隆盛を極めていたのは高度経済成長期の時代です。繊維問屋街に日本中から大勢の買い付け客が殺到し、宿も飲食店も大いににぎわっていました。しかし、近年は繊維業の海外シフトなどの影響で、軒並み往時の活力を失っている状況です。

現在はどういった事業者が多いのでしょうか。

健太先生 当事務所の場合は製造業や医療・福祉関係の顧問先が多いですね。ありがたいことに祖父の代から続いている顧問先も多数いらっしゃいます。しかし、コロナ禍や物価高の影響は大きく、厳しい状況に立たされている顧問先が増えつつあるのも事実です。既存の顧問先の経営支援に全力を投じながら創業支援にも注力していくことで、新旧の顧問先のバランスを取っていきたいと考えています。

長年にわたって顧問先との関係性を良好に保つコツはありますか。

真一先生 顧問契約などの料金設定をこちらが思う金額の95%に設定してきたのが良かったのかもしれません。この「5%」というゆとりが意外と大切で、仮に100%だったら当方からは「ここまでサポートしているのに」という気持ち、そして顧問先からは「こんなに払っているのに」という気持ちが表出したりしかねません。しかし、この「5%」のおかげで、お互いにある程度は寛容な気持ちで向き合うことができるし、結果、それが良質なコミュニケーションにつながっていくのです。

塚下先生 コミュニケーションという点では、今も昔も当事務所は職員の皆さんの力が大きいように思います。明るくコミュニケーション能力が高い人たちが多く、顧問先の悩み事などを丁寧にヒアリングし、私たちに伝えてくれていますから。

事業承継や相続、デジタル化など多様なニーズに対応したい

昨今、顧問先からはどのような相談が寄せられていますか。

健太先生 付き合いの長い顧問先では代替わりが進んでおり、そのつど事業承継や相続に関する相談を頂戴しています。また、後継者が不在の顧問先についてはM&Aによる売却を検討するケースが増えていますが、その際には経営者がきちんとハッピーリタイヤを迎えられること、そして従業員の雇用を維持できることなどを重視しています。とはいえ、M&Aを成約させるにはタイミングと経営者の決断が肝心なので、経営者には売却価格を必要以上に釣り上げるのではなく、「適正価格で従業員の雇用が維持できるように売る」ことを心がけてもらうようにしているところです。

今後の展望をお聞かせください。

健太先生 MJSのシステムを活用して生産性を高めつつ、そこから得られるデータを顧問先に提供し、さらに経営支援に役立てていければと考えています。また、一方で顧問先からの相談が多様化してきているので、有資格者はもちろん、職員とも力を合わせながら、事務所全体をレベルアップさせていきたいと思います。

塚下先生 昨今、顧問先からペーパーレスなどに関する相談を受ける頻度が増えています。改正電子帳簿保存法やインボイス制度への対応などもあるので、MJSと連携しながら当事務所の体制を整えるのはもちろん、顧問先にもそれらのノウハウを提供できるようにしていきたいですね。

真一先生 父が事務所を構えてから、早くも55年以上が経過しました。その間、当事務所が存続できたのはまさに顧問先の皆様のおかげです。次代を担う面々にはその感謝の気持ちを忘れることなく、業務に邁進してほしいと思っています。

本日はありがとうございました。ますますのご発展をお祈りいたします。

税理士・会計士までのあゆみ

福井 健太先生

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 「物心がついた頃から、父に『公認会計士はいいぞ』と言われ続けてきたんです」と話す健太先生。大学では経営学を専攻し、3年生の頃からは公認会計士を目指して、専門学校に通い始めたそうです。そして、2009年に公認会計士2次試験に合格し、監査法人トーマツに入社。7年ほど懸命に勤務したタイミングで「事務所を継がないか」と真一先生に言われ、岐阜に戻ることを決意したそうです。

福井 真一先生

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 大学進学時は特に父上の事務所を継ぐことを意識していなかったという真一先生。当時は学生運動の最中で、「授業はほとんど行われず、遊んでばかりでしたが、1年生の夏前にあまりに青春の時間がもったいない」と思い「何か目標を立てよう」と一念発起し、公認会計士試験の勉強に取り組むことに。そして在学中の1974年に公認会計士2次試験に合格。監査法人丸の内会計事務所(現 監査法人トーマツ)での勤務を経て、1982年から父上の事務所で勤務し始めたそうです。そして父上の逝去に伴い、2000年に事務所を引き継ぎ、今年早々、健太先生にバトンを渡しました。

塚下 順司先生

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 30年ほど前に大学を卒業し、新卒採用で福井一郎税理士事務所に入所したという塚下先生。バブル経済の崩壊を目の当たりにしたこともあり、大学時代から手に職をつけることを目指して、税理士試験に取り組むことに。事務所に入所して以降も業務の合間を縫って勉強に励み、2007年に税理士試験に合格したそうです。

福井健太税理士事務所

所在地
岐阜県岐阜市加納栄町通4-13
TEL
058-272-2547
設立
1967年
職員数
9名

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