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税理士法人タックスサポート・イトカズ 写真

事務所訪問

専門特化したグループ各社の
総合力による経営支援を実践

沖縄県宜野湾市と那覇市に拠点を持ち、税理士法人タックスサポート・イトカズを
中心とする4つのグループ企業のシナジーで県内各地の事業者の税務や経営を支えるITACグループ。 その歩みと展望をタックスサポート・イトカズ代表社員の糸数 美恵子先生と糸数 弘和先生に伺いました。

JC活動などを通じて人脈と顧問先を拡大

まずITACグループの全体像をご紹介ください。

糸数 美恵子代表社員(以下、美恵子先生) 当グループは私の父、哲夫が1975年に開業した会計事務所を基礎とし、15年前に法人化しました。現在は税務・会計サポートを全般的に手掛ける税理士法人タックスサポート・イトカズ那覇事務所と宜野湾事務所、個人の資産運用のサポートに特化した(株)ファイナンシャルリンク、記帳代行や会計ソフト導入支援の(株)イタク、社会保険労務士事務所サンマネージメントの4社・事務所で沖縄県各地の中小企業を総合的に支援しています。

現在では法人、個人含め多くの顧問先を抱えているそうですね。開業当初、哲夫先生はどのように顧問先を増やしたのでしょうか。

美恵子先生 開業間もない頃は金融機関に協力いただき、無料の税務相談会を開くなどして顧問先を開拓していったようです。また、父は宜野湾市の青年会議所(JC)の活動に積極的に参加し、その中で人脈を広げ、最終的には県全体のJCの会長も務めました。私たち夫婦に代替わりした現在も、当時からのご縁で顧問先となっていただいている方が多いです。

左:「先代にならってJCの活動に参画し福岡県内のマーケットを広げた」
と弘和先生 右:「女性職員のサポートに力を入れたい」と美恵子先生


糸数 弘和代表社員(以後、弘和先生) 当時の話は私もよく聞いていますが、義父(哲夫先生)の奔走ぶりはすごかったようです。JCを卒業してからも仲間とともに沖縄県中小企業家同友会を立ち上げ、県各地の事業者と交流を重ねました。また、90年代以降は精力的にセミナーも開催。受け身で相談を待つのではなく、予実管理や経営計画などの重要性を説くことで、問題意識を持って経営に取り組む経営者たちの心をつかみ、顧問先を着実に増やしたのです。
 40代になると、最新情報を求めて東京に足を運ぶようになりました。企業経営に関する先端的な考え方やノウハウに触れる機会も多かったため、沖縄の経済界でも一目置かれる存在だったようですね。現在のITACグループにつながる、専門分野ごとに特化したチームを作り始めたのもこの時期です。

美恵子先生 父がそのように経営者として縦横無尽に動けたのは、現在、宜野湾事務所の所長を務める新里 英俊先生が実務家として日々の事務所運営を支えていたからこそです。また、母の糸数 久美子も事務全般を手掛け、長年にわたってITACグループの拡大と沖縄経済の発展に貢献してきました。

相続や医業コンサルなど専門分野の強化、拡大へ

弘和先生がITACグループに加わった頃のことについてもお聞かせください。

弘和先生 私が妻と結婚して沖縄に来た2002年には、既に複数のグループ企業ができており、職員も30人以上の規模となっていました。まだ税理士資格を取得したばかりで実務経験がなく、前任の幹部が病気で退職した直後でしたが、しっかりとした引き継ぎ資料のおかげで、難なく年間10数件の相続案件を手掛け、実務経験を積み重ねていくことができました。
 この当時はバブル崩壊から十数年が経ち、まさに「失われた30年」の真っただ中。国内では急落した地価と、税額の基準となる路線価との差が開き、「土地を相続したが、相続税が高く手放さざるを得ない」「手放しても二束三文にしかならない」といった事例が各地で頻出していました。こうした中、私どもの事務所でも不動産鑑定士と連携して税務署に審査請求を出し、相続税額の見直し交渉を行う、といった案件に関わることが増えました。全国的にそうしたニーズが高まっていたことが追い風となり、ITACグループとしても実績を伸ばすことができたのです。
 私は数多くの相続案件を手掛けた後、義父のすすめで那覇市内のJCの活動などに参加し、人脈作りに注力しました。この頃、弊社の社労士の紹介で知り合った福岡県の保険コンサルタントの方のお仕事を手伝ったことをきっかけに、福岡にも顧客を持つことができるようになったのです。

現在、主軸事業の一つとなっている医業経営コンサルティングについてはいかがでしょうか。

美恵子先生 医業経営コンサルはかなり早くから取り組んでいます。80年代半ば頃、父はある地域の総合病院の税務顧問を任されていたのですが、医業経営コンサルに強い大阪の大手事務所にその役割を譲ることになってしまったのです。父はこれを機に医業専門のチームを作り、業容を広げました。当時と比べ、医業経営コンサルを手掛ける会計事務所は増えましたが、その中でも私たちは早い段階からこの分野に乗り出し、長年にわたってノウハウを蓄積してきたことが強みとなっています。

今年建て替えたばかりで外観、内観ともに新しさを感じる事務所です


新事務所をさまざまな人材が集まる場にする

採用や人材育成にはどのように取り組まれていますか。

美恵子先生 現在、タックスサポート・イトカズだけでも48人の職員が働いていますが、今後の会計業界を担う人材を育成していくためにも20代から40代の人材をぜひ迎え入れたいと考えています。そのようなことを考えて、毎年、新人採用にも力を入れています。

弘和先生 やり方によっては現在の規模でもより多くの顧問先対応が可能になるとは思うのですが、そのためには人材育成や業務効率化をさらに進める必要があります。人材育成、教育についてはOJTを基本とした上で、外部研修や動画研修なども積極的に取り入れていますね。またMJSの力をお借りして、AI−OCRをはじめとした新しいデジタルの力を業務で活かし、業務も改善していく予定です。

最後に今後の展望をお聞かせください。

美恵子先生 つい最近、宜野湾事務所を建て替えました。新事務所は明るく働きやすい環境にしようと、ミーティングや休憩などに使える部屋を広めに取った他、キッチンスペースを充実させたりしながら、今後様々な使い方ができるように余白をもたせた設計にしました。
 また、建物を新しくしただけでなく、働き方についてもより柔軟に受け入れられるよう、福利厚生面も充実させたいと考えています。特に当社は女性の職員が多いので、これまでも出産や育児の段階に合わせて勤め続けてもらえるようにし、女性の職員の力を長く借りてきました。私自身、こうした会社の雰囲気の中で、子育ての時期に周りに理解してもらいながら現在にいたるまで業務を続けることができたので、良い文化として続けていきたいと思います。

弘和先生 私も、正社員だけでなく業務委託やパートといった多様な働き方を受け入れる体制を作り、さまざまな強みとバックグラウンドを持つ人たちが集まる事務所にしたいですね。また、これまで全国で広げてきた人的ネットワークを活かし、同世代の先生方と連携して新しいICTシステムやその活用ノウハウを研究・共有することで、事務所の業務効率化やサービス向上を図っていきたいと思います。

今後の一層のご発展を期待しています。

History & Story税理士までのあゆみ

糸数 美恵子先生
愛知県名古屋市に生まれ、2歳で沖縄県那覇市に移住。幼い頃にお父様の哲夫先生が税理士として開業、忙しく働くご両親の背中を見て育ち、小学生の時には作文に「将来の目標は税理士になること」と書いていたといいます。高校卒業後は専門学校で早めに税理士資格を取得しようという考えもあったそうですが、ご両親に「大学に行ってしっかり勉強した上で税理士になった方がいい」と諭され、東京の大学へ進学。その後、名古屋市の大学院で弘和先生と出会いました。29歳の時に税理士資格を取得、結婚と出産を経て現在はITACグループの代表社員を務めています。

糸数 弘和先生
岐阜県出身。名古屋市の大学、大学院へと進学して行政法を学び、そのまま研究者への道を歩みたいという思いもあったそうですが、「勉強や研究ならいつでもできる。まずは手に職をつけて経済的な基盤を確立してはどうか」とアドバイスを受け税理士を目指すことに。その後、同大学院で出会った美恵子先生と結婚。美恵子先生のお父様の哲夫先生からの誘いで2002年に糸数哲夫税理士事務所に入所し、3年目に税理士登録をされたそうです。08年には今後の会計業界を担う人材を育成していくためにも、20代から40代の人材を那覇市と宜野湾市の2拠点体制に。以後、弘和先生は那覇事務所の所長を務め、今年には代表社員となりました。

税理士法人タックスサポート・イトカズ

税理士法人タックスサポート・イトカズ
所在地/
那覇事務所
沖縄県那覇市古島1-4-9
    宜野湾事務所
    沖縄県宜野湾市我如古446-1
TEL/
那覇事務所 098-871-4010
宜野湾事務所 098-898-3787
設立/
1975年
職員数/
48名

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沖縄の老舗酒蔵と歴史ある名店

糸満市の老舗蔵・上原酒造

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 創業1947年、上原酒造は糸満市で最も古い酒蔵です。同蔵では水や原料など素材の質を向上させるため、94年に「電子技法(マイナスイオン技法)」を導入しました。これは水や米を備長炭や電子発生装置によって還元・活性化するもので、主に農業や畜産業の分野などで活用されている技法です。酒蔵としては県内で同蔵のみが導入しています。宮城 剛工場長によれば「この技法を導入してから酒の味が丸く、まろやかになった」とのこと。実際、代表銘柄の「神泉」は泡盛品評会で最も審査が厳しい「泡盛鑑評会県知事賞」をこれまでに11回も受賞しています。

泡盛居酒屋の名店
「うりずん」


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 古酒と琉球料理の店「うりずん」は、沖縄県を代表する居酒屋です。同店が誕生したのは沖縄が本土復帰を果たした1972年8月15日。米軍統治下で高級ウイスキーが安く飲めたことが影響して泡盛が敬遠されていた時代に、創業者の土屋 實幸さんが離島を含めた全57蔵に掛け合い、全ての泡盛を揃えた泡盛居酒屋をオープンしました。同店の看板メニューは何といっても泡盛の古酒。古酒は泡盛の神髄とも言えるもので、「仕次ぎ」という方法で何十年も寝かせます。これは、熟成を重ねた泡盛にそれよりも若い泡盛を注ぎ足すことで、熟成した香りや芳醇さを保つ方法です。戦前には琉球王朝時代から何百年も寝かせた「超古酒」があったと言います。土屋さんは「あの忌まわしい大戦さえなかったら、私たちは百年古酒を飲むことができた。次の100年こそは平和であることを願う」と1997年に「泡盛百年古酒元年」という団体を設立しました。100年後の古酒誕生を目指してこの年に仕込みを始めた酒は、2015年に土屋さんが亡くなった後も毎年仕次ぎを行っています。沖縄の平和と泡盛文化の継承を願った土屋さん。現在、息子の徹さんが「うりずん」の後を継ぎ、泡盛文化の発信基地を守り続けています。

戦後に人気を集めたレストラン「ピザハウス」

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 1958年、米軍嘉手納基地に隣接する旧コザ市にオープンし、本格的なアメリカンレストランとして人気を集めたのが「ピザハウス」です。現在、浦添市港川にある本店の他、ファストフード店「ピザハウスジュニア」を5市町村で6店舗展開しており、本店ではピザやステーキ、ローストビーフなど創業時から変わらぬ味わいを楽しむことができます。3代目の坂本 昭司社長は、フランス料理の鉄人・坂井 宏行氏の下で10年間修業を積んだ経歴の持ち主。これまでのメニューに加え、自家熟成肉のステーキや金武アグー豚を使用した自家製生ハム・ソーセージなども提供しています。

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